射幸性より恐ろしいもの
射幸心・射幸性という言葉があります。なじみのある人は耳にタコができているでしょうし、そうでない人(おそらく清く生きてきた方)には耳慣れない でしょう。日本語としてはおもにパチンコ・パチスロの分野で広まった用語であり、その複雑な歴史背景ゆえになかば法用語めいた性質すら帯びています。
詳細は人類の叡智を あたっていただくとして、思い切りざっくりと安田の言葉にて説明すると「偶発性と偶然性に支配された連続的な勝利と敗北のなか全体を見渡さず利得を獲得し ようと耽溺・錯乱状態になる/なっている心と、それを誘発する性質」です。いささか極端な表現ですが、あながち間違いとも言い切れないでしょう。
私、安田は人間のクズとして強い自覚を保持し続けています。時短アイテム・お茶を濁してゲームを薄めるだけの拡張パック・格段ゲームが有利になるわ けでもないインゲームアイテム・逆にゲームバランスを破綻させかねないようなアイテム、そして最もホットといって差し支えないであろう”ガチャ”。あらゆ るマイクロトランザクションや DLC を見かけるだけで買ってしまいます。「欲しい」と感じるシーケンスすらすっ飛ばして一足飛びに購入してしまう癖があるため、夜中に一人絶叫しながら欲を必 死に抑えこむことすらしばしば。フィクションのように聞こえるかもしれませんが実話です。
それで勝っただとか負けただとか、そういう結果すら二の次です。どちらかといえば勝てたためしがない気もしますが、それもまた典型的なクラスター錯覚であり、逆「テキサス射撃手の誤謬」とでもいうべき感覚でしょう。ようするに、結果(およそ勝利または目的達成)のために課金・追加投資しているわけではないのです。
ではその正体とは一体なんなのか。つい最近まで本質はやはりパチンコパチスロと同じく射幸性であり、それに煽られた私自身の射幸心にあると考えてき ました。しかしつい先日、少なくとも私にまとわりつきカネをドブに投げ捨てさせ続けてきた概念の正体は別物と気づくに至ったのです。
契機は『Counter-Strike Global Offensive』の”箱”(上掲)です。私の不幸を眺めて飲食物を楽しんだ方はさいわいなことにあまりいらっしゃいませんでしたが、まさしく悲劇そのものでした。観ていた Toichi や UnFreeMan などは最初のほうこそけらけらと笑っていたものの、終わり際にはほぼ無言・かける言葉がない・「もうやめろ」「なぜやった」的な空気に支配されていました。
当事者(ようするに無駄金を垂れ流した)私の症状はもっと深刻で、比喩ではなく本当に目の前が真っ暗になり、胃が裏返るまで嘔吐し、ついでに後日確 定申告の書類を作る際にも吐きました。あまりにもショッキングな数値だったのです。具体的な数字は避けますが、ゲームハード1台とあわせてソフト数本くら い買えそう・『パズル&ドラゴンズ』の魔法石に突っ込んだ額よりも上。ひどい有様です。
ここで問題になるのは「そもそもなぜ箱を開け続けたのか?」です。『CS:GO』をご存じない方のために説明すると、”箱”に入っているものはキャ ラクターを強化したり待機時間を短縮したりしてくれるようなアイテムではなく、武器のスキンだけです。あくまでも外見がほんのわずかだけ変化し、その名称 が表示されるのみ。一切の利得はありません。それゆえ当然に勝利もありえません。つまり敗北すら存在しないのです。
「狙ったスキンが出なかったのならば敗北だろう」という向きもあるでしょう。しかし Steam にはコミュニティマーケットが あります。私とてそろばんを少々はじくくらい最低限の算数はできます、そちらで買ったほうが安上がりであることくらい容易に認識できました。無論、「もし かしたらレアなものが出るかも」と一発を期待する願望が真にゼロだったわけではありませんが、ほぼ無かったと断言できます。「万が一出たら売ろう」という 考えが、最初は利益目的であったのが後半は損失補填へと変質しただけです。
前置きが長くなりすぎました。結論を申しあげましょう。射幸性より恐ろしいものとは「ファッション」です。
スキンだけを変化させるアバター商法は古くから存在しますし、実質をほぼ伴わない単発の視覚情報だけを販売する手法でいえば最近では LINE あたりがメジャーです。それらもまた流行ではありますが、『GO』や『Team Fortress 2』の”箱”との間には決定的な差異があります。
古典的なアバター着装により満たされるのは承認欲求です。欲求段階にパターンはあれど、とにかく誰かに見せつけるという最終目的が存在します。一方 の”箱”ならびに開封にはそうしたゴール地点が無いのが強大な特徴です。あえて着地点を知覚するとすればそれは自己満足以外にありえません。自分のプレイ を観戦されることを想定して”箱”を開ける人間がいったい何人実在しましょうか。
(注: 『TF2』では『GO』と違い中身には武器等が入っているものの、無料で選択できる初期装備が原則的に上位の強さに鎮座するという調整を貫いてきているため、勝敗についていえばやはり無関係であり、結局は自己満足に帰結します)
勝利も敗北も終末すらも存在しないフィールドにおいて何ゆえ人はカネを注ぎ込むのか。その動機は「時勢」「ファッション」または「なんとなく」としか表現できません。
これは間違いなく Valve 側も認識しており、その証拠に定期的に箱の中身が入れ替えられています(とくに『TF2』)。「ファッション」とは現代的には何者かに価値を定義されるこ とであり、そこに実利は求められません。設営された線路の上を走るだけで人は充実感を獲得できるのです。仮にどれだけ自身を摩耗させようとも。
”箱”=「ファッション」の証明の一つとして、Twitch 等でたまに見かける”箱開け”配信があります。どこかの他人が自爆するのをセーフティの愉悦をつまみに眺めたいだけならば視聴者はただ配信者を煽るにとど まるでしょう。しかし驚くべきことに”箱”そのもののみならず金銭的なモノすら絡んだ「寄付」がよせられ、資金面でもゲームアイテム面でもきちんと回転し ている事例があるのです。”箱開け”は一種のショウとして確立しえるようになりました。あたかもファッションショーのように。バックグラウンドにして縁の 下の力持ちはやはりコミュニティマーケットの存在です。
複合的な要因により”箱”はくじ引きや運試しではなくなりました。”箱”自体が「ファッション」のフレームワークを規定し、”箱開け”が”箱”の中 身以上の価値を保有する。いうまでもなく善悪の問題ではありません。Steam が、そして Valve がゲームの世界において一足先に次なる次元へ突入しているだけです。
ところで、「ファッション」のような魔的な誘引力が日本において人口に膾炙するようになるのは5年後か10年後か20年後か、はたまた1年後か。ど れくらい時間がかかるかはまったく予想できません。ただ、とにかく「レア!」を”引かせられ続けるだけの試行”ような、創意工夫に欠いたものはいずれ駆逐 されることでしょう。さらに、その先に待つのがユートピアなのかディストピアなのかも全然判りません。
究極的には、ゲームは楽しければ良いのです。”箱”と”箱開け”は否定しようのない快楽へと登りつめました。投機でもなく自傷でもなくスリルでもない、ただただプリミティブでエキサイティングな「行為」です。マーケットプレイスなる経済学と資本主義にて誠実さが体現され、かつ事象がオープン化された Steam では、”箱”は当面のあいだ存在感を放ち続けるでしょう。そこに在るのは射幸性ではありません。純粋な、終わりなき「ファッション」です。
そして、最後にこれだけは書かなければなりません。
愛する我が妻へ: 本当にごめんなさい。2度と手を出さないことを誓います。(『GO』の箱には)
(image: Know Your Meme)