テキストのないゲームーーノンバーバルゲームに名作が多い理由とは?「ゲームの隠し味 – ゲームを面白くするあれこれ」第三回
『INSIDE』『Cocoon』『Florence』『JOURNEY』。いずれも世間の評価が高い名作だ。これらのゲームには共通する要素がある。「可能な限り文字や会話を使わない」ことーーすなわちノンバーバルであることだ。

こんにちは。ゲーム業界の片隅で霞を喰ってるゲームプランナーもしくはゲームデザイナーのゲームデザイン星人ヌヌヌだ。ヌヌヌの記事も三回目だ。ゲームデザイナーとして、ゲームを面白くするための仕掛けなどを紹介する企画。今回は少し変わった記事を書いてみた。テーマはノンバーバルだ。

では、始めよう。
■名作たちの共通点
『INSIDE』『Cocoon』『Florence』『JOURNEY(邦題:『風ノ旅ビト』)。いずれも世間の評価が高い名作だ。これらのゲームには共通する要素がある。「可能な限り文字や会話を使わない」ことーーすなわちノンバーバルであることだ。
ノンバーバルについて軽く触れると、そもそもバーバルとは「言語を用いること」を指す。ビジネス用語に「バーバルコミュニケーション」があり、これは会話のみならずメールなど「文字」を扱うものも含む。それに対してノンバーバルコミュニケーションは言語を用いないやりとりを指す……と早くも堅苦しい説明が入ってしまったが、今回の記事に関して言えば「言語をあまり用いていないゲーム」程度の認識で大丈夫だ。
ノンバーバルなゲームは「テキスト」が存在しない。テキストを作るコストを削減でき、さらにローカライズコスト自体も削減できる。いいことづくめだ。それに、このジャンルの作品は名作が非常に多い。もしかしたら「ノンバーバル」に名作を生み出す秘密があるのかもしれない。
今回の記事ではノンバーバルな傾向のあるゲームを取り上げながら、なぜ名作が生まれやすいのかについて考察してみる。
■『LIMBO』と『INSIDE』~無言の少年~
海外産インディゲームの名作の1つを挙げろ、と言われれば『LIMBO』が思い浮かぶだろう。『LIMBO』の開発会社であるPlaydeadは、他にも『INSIDE』を生み出した。

両作品の共通点は「少年が主人公である」こと、そして「無言である」ことだ。
どちらの作品も容赦のない暴力が少年を襲い、少年はむごたらしく死ぬ。だが、少年は叫び声をあげることも、助けを懇願することもない。儀礼的に、粛々と死を受け入れ、繰り返す。プレイヤーは少年の声ならぬ声を聞き、どうにか死を避けて、ゴール=死からの解放を目指して少年を操作する。
『LIMBO』や『INSIDE』の悲劇性はノンバーバルであることで表現力を増している。少年が悲鳴や怒りを口にしようものなら、すぐにその死は滑稽に映ってしまうだろう。ノンバーバルであることでプレイヤーは少年の心情を想像する。いや、「させられる」構造になっている。
ノンバーバルはプレイヤーの能動的な想像力を引き出す。能動的な想像は没入感を生み出す。『INSIDE』などPlaydead諸作品の魅力の秘密がここにある。
■『Cocoon』~物言わぬ虫たちの世界~

『Cocoon』は『Viewfinder』『Dredge』などを下してThe Game Awards 2023のBest Debut Indie部門を受賞した名作パズルアドベンチャーゲームだ。こちらは上にあげたPlaydeadで活躍していたリードゲームデザイナーのJeppe Carlsen氏が手掛けている。
『Cocoon』は昆虫のような主人公を操作し、不思議な球体「オーブ」を転がしながら世界の謎を追うゲームだ。主人公は昆虫だから会話ができない。ノンバーバルだ。
もちろん『Cocoon』の評価は「ノンバーバル」が理由ではない。だが、「ノンバーバルであることが、本作の評価を押し上げた」という考え方はできないだろうか。
普通に考えれば、昆虫である主人公に感情移入することは難しい。ディズニーやピクサーの作品のようにキャラクターになっていればいいが『Cocoon』の主人公は無機質で、昆虫なのかどうかすら怪しい生命体だ。
しかし、プレイしているとなぜか愛着が湧く。必死にオーブを運んでいる様子が愛らしさや応援したくなる気持ちを生むのだ。
「虫」というモチーフは「矮小な存在」である印象を与えるのだろう。だから憐憫や応援の感情を生む。そしてノンバーバルにより余計な「キャラクター性」を排除することで、一層そうした感情を増強している。
ノンバーバルは「矮小な存在が頑張っている様子」と親和性が高く、印象を強化するのに役立つ。キャラクター性を排除し、フラットな感情移入を生み出す。
■『Florence』~言語に頼らない純粋なコミュニケーション~
『Florence』は『モニュメントバレー』のデザイナーであるKen Wong氏によるインタラクティブ・ノベルゲームだ。

『Florence』はある成人女性の人生を描く。ストーリー自体はシンプルな内容だが、特筆すべきはその語り口だ。人生という一言では言い表せない複雑なテーマを扱いながら、本作はノンバーバルな表現を貫く。
この作品にとってノンバーバルであることは決意表明であり、ゲームデザインのルールだ。「言語に頼らない」という制限が、表現を研ぎ澄ませている。ほんの少しでも言語に頼った瞬間、本作の美しさは損なわれるだろう。
ノンバーバルは「ゲームデザイン上の制限」であると同時に「表現の純度を高める」枠組みでもある。
■『JOURNEY』~誘発される演技~
日本では『風ノ旅ビト』で知られる、現在は『Sky 星を紡ぐ子どもたち』を運営してい るthatgamecompanyの出世作だ。

これまで紹介した作品と同様に『JOURNEY』もノンバーバルなゲームだ。
ゲーム序盤は孤独だが、途中から同行者との一風変わった旅が始まる。同行者に対してコミュニケーションをとるために、プレイヤーはアクションを「ジェスチャー」だと認識する。しばらく遊ぶと、ノンバーバルによるコミュニケーションの不便さや窮屈さは姿を消し、アクションによるシンプルで力強い意思疎通が可能になる。
ノンバーバルはプレイヤーの行動を制限するが、それがアクションの「意味」を強化し、プレイヤーに「世界との一体感」や「没入感」を生み出す。
■『ICO』や『ワンダと巨像』~上田文人作品に共通する世界観~
『ICO』や『ワンダと巨像』で知られる上田文人氏の作品もノンバーバルな傾向が強い。過去のインタビューによれば、NPCテキストのループ性や不自然さへの疑問が理由らしい。

[GDC 2009#13]「ワンダと巨像」の上田氏,「Fallout 3」のPagliarulo氏,「NO MORE HEROES」の須田氏が揃った豪華セッション
上田文人氏の作品群の魅力は「世界の描き方の力強さ」にある。これまで紹介してきたゲームのすべての要素を含んでいるからだ。
『LIMBO』のような「能動的な想像力」、『Cocoon』が持つ「矮小な存在への憐憫」「フラットな感情移入」、『Florence』が発揮した「純度の高い表現」、『JOURNEY』が用いた「制限されたアクションが生む世界との一体感」……たとえば『ICO』を思い出してほしい。
無垢な少年は謎多き城に一人取り残される。そこで出会った神秘的な少女とは言葉が通じず、ジェスチャーで辛うじてコミュニケーションを成立させる。物言わぬ世界は畏怖とともに荘厳な印象を生み、さらに無言のまま迫りくる影は恐怖感を煽る。そんな状況の中、本作が選択した「手をつなぐ」というアクション。単に「ボタンの1つを割り当てた」だけでなく、プレイヤーにとって「少女とコミュニケーションをとる手段」でもある。制限されたアクションは世界との一体感を与え、それが少女との繋がりと組み合わさることで唯一無二のゲーム体験になっている。
上田文人作品に影響されたゲームクリエイターは多い。それは諸作品にノンバーバルの魅力が多く内包されているからではないだろうか。そして、この魅力は決してノンバーバルなゲームに限った話ではなく、バーバルなゲームに対しても有用なはずだ。

■余談~これからのインディータイトル~
インディーゲームは企業開発に対して開発コストに制限がある。ゲーム開発のコストのうちバーバルな要素、「テキスト」や「ボイス」、そして「翻訳」は非常に多くのウェイトを占める。前述したように、ノンバーバルなゲームデザインを選択すれば、コストを削減することができるかもしれない。さらに、うまくすれば力強くて魅力的なゲームを生み出せる……そう簡単にはいかないが、開発期間やコストを考慮してノンバーバルなゲームを目指すのは悪くない選択だと思う。それに、昨今の「コンパクトなゲーム」が求められる風潮を見ると、これからノンバーバルなゲームはおのずと増えてくるのかもしれない……。