AUTOMATON Awards 2016
「僕のベストキャラクター賞」

コンテンツビジネスにおいて、「魅力的なキャラクター」は作品の成否を左右する重要な要素である。世のクリエイターはどうすれば魅力あるキャラクターを作ることができるか頭を悩ませ、時に持論を披露したりキャラクターの作り方を著書にしたり、さらには講義まで行う人もいる。

コンテンツビジネスにおいて、「魅力的なキャラクター」は作品の成否を左右する重要な要素である。世のクリエイターはどうすれば魅力あるキャラクターを作ることができるか頭を悩ませ、時に持論を披露したりキャラクターの作り方を著書にしたり、さらには講義まで行う人もいる。ただ結局のところ、時代の流れや個々人の嗜好の広がりをも全て凌駕して万人に希求する「魅力的なキャラクター」を確実に作り上げる手法は、今のところ定まっていないようだ。

筆者は多くの言葉をついやさなくてもその過去を感じさせるキャラクターが好きだ。人の人生は自己紹介程度で理解できるほど少ないレイヤーで構成されていないことを、誰しもが本質的には理解しているからだ。同時に能弁な野心家も好きだ。多弁は人を薄っぺらく見せるが、それでもなお、生々しい人間の動物的ともいえる支配欲求は、多くの人の心を惹きつけるものだ。

ビデオゲームをプレイする以上、その操作キャラクターに多かれ少なかれ自己投影をするのは当たり前のことだ。だがこうして考えてみると、魅力を感じるキャラクターというのは、必ずしも自己投影の先にあるのではないのかもしれない。では何が魅力的なのか。一体どんなキャラクターがどんな理由で筆者をひきつけるのだろうか。

幸運にも2016年、筆者はさまざまなゲームをプレイすることができた。ゲームをプレイする中で様々なキャラクターと出会い、協力し、敵対し、操作し、そして同一化してきた。考える材料は充分すぎるほど揃っている。今年印象に残ったゲームキャラクターを独断で選び、独断でベストキャラクター賞をつけ、その理由を独断で考察することで今年を締めくくりたい。ノミネート対象は最終的に6人に絞った。以下ノミネーションの理由と寸評を紹介していき、最後の2人を準ベスト、そしてその内の1人を栄誉ある2016年 AUTOMATON 僕のベストキャラクター賞とさせていただきたい。

※以下本文では『ペルソナ5』『Overwatch』『Uncharted 4』『Life is Strange』『Battlefiled 1』のあるキャラクターに関するストーリーと考察が記載されています。まだ見ぬ魅力的なキャラクターたちとネタバレ無しで出会いたいゲーマーはご注意ください。

 

ノミネート作品

フレデリック・ビショップ:『Battlefield 1』
「負け戦に望む英雄の相貌」

%e7%94%bb%e5%83%8f%ef%bc%91

選考理由: 『Battlefield 1』のキャンペーンは第一次世界大戦をさまざまな立場から見つめるというコンセプトで制作されている。フレデリック・ビショップは、「ガリポリの戦い」という大戦初期、しかも連合国側の敗戦を舞台にした「ランナー」での主役だ。ボーア戦争に義勇兵として参加経験のあるオーストラリア軍の英雄は、祖国が初めて本格的に海外派兵したこの戦争にも参加することになる。「ガリポリの戦い」を大局的に見た場合、イギリス軍にとっては戦術的な甘さ、オスマン帝国に対する過小評価が目立つものであり、歴戦の兵士であるビショップは戦う前から敗北を見据えていたであろう。そんな彼の魅力は、その圧倒的な渋い風貌と、言動とは裏腹に直情的な男の優しさといえる。彼を慕う新兵と味方のために、彼はその命を簡単に張る。その姿には、移民の国だからこそ生まれたオーストラリア人の「Mateship」と呼ばれる強い仲間意識、兵士としてのプロフェッショナルさ、彼自身のプライドが混ぜ合わさった「たくましい男性」が感じられる。その甘さと苦さの同居した風貌、人生を写す背中の表情は、全て男性の憧れであると同時に、渋い男性を求める女性を惹きつけてやまないだろう。

 

ネイサン・ドレイク:『Uncharted 4』
「幸せな冒険野郎への幸せなやっかみ」

%e7%94%bb%e5%83%8f%ef%bc%92

選考理由:いまや「Naughty Dog」の代表作となった『Uncharted』シリーズの主人公、ネイサン・ドレイク。シリーズ最終章となった今作で同シリーズを綺麗に終わらせた彼へのリスペクトは選考理由の一つだが、なによりも多くのプレイヤーを魅了した一つのシーンに絞って賛辞を送りたい。それはゲーム序盤、ネイサンと物語のヒロインであるエレナが、一緒に2人で『クラッシュ・バンディクー』をプレイする夫婦のシーンである。初代PlayStationが現役な家庭も微笑ましいが、ロード時間に文句を言ったり、強がるネイサンに対して優しく諭すようにゲームを教えるエレナのおしどり夫婦っぷりを見て、羨望の感情を抱かなかったゲームプレイヤーはいないのではないだろうか。多少やっかむ気持ちはあれど、常にいつも新しい驚きや喜びを届け続けてくれた『Uncharted』シリーズを代表する2人の仲睦まじい姿に、心からの憧憬と敬意をこめてのノミネートとする。また余談だが、今年12月3日の「PlayStation Experience 2016」では、ネイサンとの関係も深いクロエを主役にした同シリーズのスピンオフDLC「Lost legacy」が発表された。同DLCにネイサンとエレナは登場するのか、するとしたらどんな立ち位置になるのか、気になるところである。

 

トレーサー:『Overwatch』
「キュートさでは他の追随を許さない。オーバーウォッチの顔」

%e7%94%bb%e5%83%8f%ef%bc%93

選考理由:今年見事に「Game of the year」を獲得した『Overwatch』。同ゲーム中のキャラクターはどれも独特な魅力に溢れており、キャンペーンのようなストーリー性のあるモードを望む声も多い。ベータテストでその勝利ポーズが「性的」だとユーザーから指摘され「Blizzard」がそれを削除するという、理想的とはいえないスタートをきった彼女だが、今やそんな無意味な中傷も誰も覚えてないほどゲーム内で躍動しており、多くのプレイヤーに愛されている「GoTY」の顔だ。万人に愛されるキュートさを持つ彼女ではあるが、簡単には使いこなせないピーキーな性能を持つことも魅力の一つだろう。個人的にはゲーム開始前、ウィンストンとマッチングした際に彼に呼びかける日本語ボイスの秀逸さを推したい。

 

マックス:『Life is strange』
「時をかける少女が知った、選択の天秤」

%e7%94%bb%e5%83%8f%ef%bc%94

選考理由:「タイムリープにハズレなし」と創作界隈ではよく言われる。映画では「Back to the future」や「The Butterfly Effect」。ゲームでは『シュタンズ・ゲート』などの名前を挙げれば、その言葉も納得できる。人生に何の後悔もない人間がいない以上、「過去に戻って選択肢を変える」という魔法の能力への欲求が尽きることはない。『Life is strange』は突如タイムリープする能力が備わった女子校生マックスの5日間を描く話だ。何かが起こったらその瞬間に任意のタイミングで任意の瞬間に時を巻き戻すそれは、まさに神の力と呼ぶべきものだ。ただし、主人公マックスがその5日間で感じたのは、けっして神の万能感などではなく、むしろ「神の選択」の重さは人間一人で背負いきれるものではないという諦観であっただろう。誰かにとって最善の選択は誰かにとって最悪の選択だという、そんな当たり前の事を彼女が学んだ5日間。その顔立ちは、いつしか少女のそれから大人のものに。まるで「サナギが蝶になるように」美しく成長していた。

 

準ベスト

ジークバルト:『DARKSOULSⅢ』
「愛され続けたカタリナ騎士達最後の一人。因縁を果たすため薪の王と対峙せり」

%e7%94%bb%e5%83%8f%ef%bc%95

選考理由:その特徴的な甲冑の形から「たまねぎ騎士」と呼ばれる「カタリナ騎士」。彼らの装備は『DARKSOULS』シリーズ皆勤賞であり、NPCとしても初代『DARKSOULS』『DARKSOULSⅢ』に出演。意外と知られてないが、初代ではジークマイヤーとその娘ジークリンデ、そして近作にてその子孫と思われるジークバルトと、シリーズ全体で3人のカタリナ騎士が出演している。一族そろって性格的には極端なくらいのんびりしており、先に進めなくなったらとりあえず酒を飲んだりうたた寝したりしているその姿は、とかく殺伐としているソウルシリーズで心の折れかけたプレイヤー達のマスコットとして愛されている。だがシリーズの区切りともいえる本作でのカタリナ騎士「ジークバルト」には、ルートによって特殊演出つきでボス戦共闘というこれ以上ない見せ場が作られており、可愛らしさに加えて「劇中最高のかっこよさ」も加えられている。

そもそも物語の意味をはっきりと語らないのが「DARKSOULS」シリーズ。ジークバルトと敵である薪の王の一人との因縁も推測するほかないが、かつてその薪の王の一人は、自分を倒すことができる剣(シリーズで馴染み深い大剣ストームルーラー)を自分を好まぬものと、自分の友人に一振りずつ与えたというエピソードがある。そしてその「友人」がジークバルトであること、彼らの間に男同士の友情が存在していたことは、戦闘前と戦闘後のセリフから分かる。そして自我を失った後の薪の王を「倒す」という約束が両者に存在していたのは間違いない。まさにプレイヤーと製作者にもっとも愛されたキャラクターだからこそ実現した共闘シーンはシリーズ屈指の出来栄えであり、その一瞬だけでシリーズファンの魂をまるごと魅了した。「多くが語られない」から、「多くを語らない」からこそ、魅力的であるキャラクター造詣の見本のようなカタリナのジークバルト。間違いなく地味な立ち位置ながらも、彼を今年を代表するキャラクターと呼ばない選択肢を僕は持たない。

全て知らない同士の緩い繋がりは時にこんな奇跡を起こす
全て知らない同士の緩い繋がりは時にこんな奇跡を起こす

またNPCとは違うが、トロフィーコンプリートまで最低3周必要なこのゲームをやりこむ中で出会った、すべてのジークバルトプレイヤーに感謝の念を禁じえない。こちらの完コスジークバルトをみたら、白赤青紫霊を問わずにジークバルトコスに変えて遊んでくれる優しいプレイヤーが多く、個人的にあらためてマルチプレイヤーゲームの楽しさを実感させてくれた。もちろん、どんな中の人とマッチングするかは運要素の強いソウルシリーズであり、このゲームで嫌な思いをした人もいるのかもしれない。ただ、一期一会のマルチプレイだからこそ、遊び心と心の余裕を持って知らないもの同士でジークバルトごっこをしたあの瞬間は忘れられない思い出になった。ゲームキャラクターというのはNPCだけではな、PCも含まれるということを思い出させてくれた。フレンドでもなくIDすら知らない、一瞬だけ時間を共有してくれた全てのジークバルト達にあらためて「ありがとう。またどこかで会いましょう」と言わせていただきたい。

 

ベストキャラクター賞

川上貞代:『ペルソナ5』
「生徒と教師の禁断の愛情。家事をこなして貰いながら別の女性に手を出す主人公に『節制』のアルカナはどのような眼差しを向けていたのか」

%e7%94%bb%e5%83%8f%ef%bc%97

選考理由:川上貞代は『Persona5』に出演するキャラクターであり、ある事情で主人公が一年間転入することになる学校で担任を務める教師である。本編に大きくからんでくる人物ではないが、『ペルソナ3』から実装されているシステム(いわゆる各アルカナを背負った人物と信頼関係を作ることで、悪魔合体時に経験値ボーナスを得ることができ、ランクをMAXにすることでアルカナ固有の悪魔を召喚可能になるというシステム)のコープキャラクターとして登場する。担当アルカナは「節制」。魅力的なキャラクターの多い『Persona5』の中で、なぜ彼女がベストキャラクターなのか。各側面から光を当て、その本質的な魅力を掘りおこしていこうと思う。

タロットカードのいわゆる「大アルカナ」22枚には正位置と逆位置があり、それぞれ意味するところが変わるのはご存知の方も多いだろう。そして川上貞代のアルカナは「節制(Temperance)」であり、もっともポピュラーなウェイト版タロットカード、マルセイユ版タロットカードともに、羽の生えた人物が杯から杯へ水を移している様が描かれている。ウェイト版ではその人物は大天使ミカエルとされ、正位置では「調和、献身、慈愛」などを意味し、逆位置では「消耗、生活の乱れ、悲観」など(挙げたものは代表的な例であり全てではない)を意味している。川上貞代は「その全てに当てはまる」実に稀有なキャラクターである。

彼女はある非常に逼迫した事情により、週何日か「一回5000円」で「べっきぃ」という通り名のメイドとして家事を請け負うアルバイトをしている。コープの発展にしたがって明らかになるが、その事情は彼女を苦しめ、精神的に消耗させ、教師という仕事にさえ悲観的なっている。この時点ですでに逆位置は数え役満である。主人公は彼女と絆を深めるために「一回5000円」を支払って彼女を家に呼び続けることになるのだが、コープランクが上がっていくとコープアビリティとして「サボタージュ(川上先生の授業がたまに自習になり主人公が好きな行動をとれる。さらに上位アビリティのフル・サボタージュになると他の教師の授業の邪魔までしてくれる)」、「家事代行(コインランドリー・コーヒー淹れなど主人公の自由時間を奪ってしまう行為を代行してくれる)」など、主人公にとって非常に「便利」な能力が付与されていく上、コープMAXになると「特別マッサージ」という、ダンジョンを攻略した夜にも主人公の疲れをとり、行動できるようにする、まさにこのゲームの行動制限の制約を極限まで減らすとんでもなく有益なアビリティを得ることができる。しかもコープMAXになると5000円を払う必要性すらなくなる。川上貞代は最終的に、主人公にとってまさしく献身と慈愛をその身で体現した「節制」のタロットに描かれた大天使のような存在にまでなる。女性の持つ無限の母性は全男性の急所だ。その姿に惚れて『ペルソナ』シリーズ独特のシステムである「異性コミュ」との恋人関係を川上貞代と築いたプレイヤーも多いことだろう。その気持ちは充分理解できる。

%e7%94%bb%e5%83%8f%ef%bc%91%ef%bc%90 %e7%94%bb%e5%83%8f%ef%bc%91%ef%bc%91

しかし待って欲しい。このゲームのコープ対象者は「恋人関係」になることが可能な女性だけで9人いるのだ。そして今までのシリーズでは申し訳程度についていた二股デメリットが今作にはない。無論、大多数のプレイヤーは恋人関係になった女性を裏切るようなことはしないだろう。しかし、他のコープランクを上げていくことはこのゲームを攻略する上での重要な要素であり、そのために居候している喫茶店の一階で川上貞代にコーヒーの作成を頼んでいるあいだ、他のコープの女性を二階にある主人公の部屋に連れてくる事もある。プレイヤーは人間だ。指が滑って選択肢を誤り、他のコープの女性と「恋人関係」になってしまうことも可能性としてはあり得ることなのだ。その時、慈愛と献身に満ちた恋人は一体何を思うのだろうか。想像するだに胸が締め付けられる。

ここから先は推測に過ぎないが、川上貞代のアルカナ「節制」には、当然ながらまず額面どおりの意味である節制や節度といった意味も含まれる。彼女は教師としてあるべき姿を見誤り、長いあいだ精神的にも肉体的にも耐えてきた。主人公とのイベントの中で確かにそれは解決したのだろう。ただ、主人公との関わりは、途中から明らかに彼女に別のジレンマを与えた始めていたのではないだろうか。「教師」と「生徒」という中に生まれる背徳的な関係、一人の生徒のために自分の授業あるいは他の教師の授業を邪魔するといった明らかに行き過ぎた行為は、本来「節度」を尊ぶ彼女の持つ理想的な教師像からはかけ離れている。それでも「尽くしてしまう」自分のどうしようもない感情に苦しんでいる。彼女の魅力は、その精神が本来気高くある故に生じる常識と恋愛という、相反する要素の「二律背反」を果てしなくさまよう一人の女性としての「苦しみ」が生み出しているものであるといえる。女性の場合、その苦悩はそのまま「色香」へと昇華される。「恋愛の唯一至高の悦楽は、悪をなす確信にある」と言ったのは、ボードレールだっただろうか。

%e7%94%bb%e5%83%8f%ef%bc%91%ef%bc%92

彼女の苦しみはそれだけではない。あまつさえ「教師」と「生徒」の関係に負い目を感じている上に、さらに「容姿が人並」「主人公との年齢差(恐らく少なくとも四捨五入して30歳前後と推察される)」という要素が重なっている。そして他コープの女性はほとんどが容姿端麗な上、年齢も若いのだ。愛情に年齢差など関係ないと言えばそれまでだが、人間はそう簡単に全てを割り切れる動物ではない。自分など主人公の恋人として相応しくないと、心のどこかで思っているに違いない。ここへきて少しずつだが、二階に他コープの女性を部屋に連れてきた時の川上貞代の心情が浮き彫りになってこないだろうか。出会いは「節制」の逆位置に始まり、徐々に正位置になった彼女が(少なくともゲーム内で)辿りついた先は「慈愛、献身、悲観、消耗」と、正と逆を常に内包したまさに女性の喜びと苦悩の共存だったのだ。最終的に自分の正式な恋人を選ぶ際、川上貞代を選ぶかどうかは無論個々人の判断に委ねられる。ただ、さんざん「便利」に使っておいて最終的に若くて容姿端麗な別の女性を選ぶのは、『ドラゴンクエストV』で一緒にすごした幼馴染を捨てて、いきなり現れた金持ちの令嬢を選んで何も感じないタイプの人の持つ胡散臭さと同じ匂いがして、僕は好きになれない。

そう思わせるほど「川上貞代」というキャラクターが発する苦しみと同居する熱情は美しく、そして何より愛おしいものだ。

以上の理由により、2016年 AUTOMATON 僕のベストキャラクター賞は川上貞代に送ることにした。おそらく僕の脳細胞100億個が100億回考え直しても同じ結果になるだろう。

 

結びに変えて

「あなたは、人生という劇の作者である詩人に、ある役を演じるように命じられた一人の役者であることを忘れてはならない。あなたの役は短いかもしれないし、長いかもしれない。もし作者があなたにこじきの役をやれと望むならば、あなたは自然に、誇らかにこじきの役を演じようと努めるべきである。なぜなら、もらった役を上手に演じることはあなたの力でできるが、どの役を演じるかは、あなた以外の人が決めることなのだから」

-エピクテトス-

当たり前のことではあるが、人生は常に自分の思い通りにはならない。どんなに望まない状況でも、どんなに苦しい状況でも、勝算も打算もなしに戦える、そんなキャラクターが僕は好きなのだろう。それは自分への鼓舞でもあり、ここに立ち続けることの勇気を与えてくれる。僕にとって「魅力的」なキャラクターは、つまりそんな存在だ。

2016年も様々なゲームが発売された。各人はその発売日を待ちわび、高揚した気分でパッケージを開けたり、ダウンロードを完了させたことだろう。そしてそのゲームの内容次第で、それが心の一本になったり、あるいは失望したはずである。それぞれの日々の生活がどんなものであれ、ゲームが良い意味でも悪い意味でも、心のどこかを占める存在であったなら、それはやはり喜ぶべきことなのだと思う。悲喜の感情は、人が生きている証だ。ゲームを愛してやまない方々にとって、2016年が悲喜にあふれた一年であったことを願い、きたる2017年もまた悲喜にあふれた一年であることを祈りながら、この稿を締めたいと思う。

Nobuhiko Nakanishi
Nobuhiko Nakanishi

大学時代4年間で累計ゲーセン滞在時間がトリプルスコア程度学校滞在時間を上回っていた重度のゲーセンゲーマーでした。
喜ばしいことに今はCS中心にほぼどんなゲームでも美味しく味わえる大人に成長、特にプレイヤーの資質を試すような難易度の高いゲームが好物です。

記事本文: 50