「INDIE STREAM」レポート [5] – 何が起きていたのか
インディー。その旗のもとに雲霞の如く関係者が集結しました。肌が焦げそうな熱気はけっして物理的に発せられたものだけではありません。
インディーとは何なのか。独立系開発? 個人開発? メンタリティ? 規模? 組織体制?詮無きことです。恥ずかしいから言わせないで欲しいようなことです。安全地帯から定義論を振りかざしても、当事者にはきっと何一つ響きません。 たしかに、ツッコミを入れようと思えばいくらでも入れられます。だから何?
私のような、つまりゲームばかりしてきたような人間は、言うなればゲーム飽食の時期を過ごしたことがあるはずです。あらゆる「料理」を食べた結果、 今までになかった「料理」を(たとえそれが半ばゲテモノめいており調理されたものかどうかわからないものでも)食べてみたい。そう考えるようになることが はたして不自然でしょうか。
少なくとも私はインディーゲームを特別視していません。ただ「インディー」と呼ばれる特殊な過程を経て生まれた作品である、程度にしか認識している に過ぎません。あえてそうしています。AAAとインディーとで評価尺度を区別し調整するのが正常でしょうか? 美味いものはどんな形でも・どんな文化でも・どんな製造工程でも・どんな見た目でも美味いと判断されてしかるべきです。
“残念なことに”、インディーはバブルではありえません。もし「ソーシャル」の次に「インディー」が来たとでも解釈している方がいらっしゃったら、 それもじつに残念なことです。理屈は単純です。そもそもインディー界隈には泡沫的なカネが飛び交ってすらいないからです。インディーゲーム業界の当座の目 標は、開発と販売に関わった者の生活を豊かにすることにほかなりません。今後もしインディーによくわからないスポットが当てられ祭り上げられたとしても、 ぜひともその事実を忘れないでいただきたいものです。
SCEJA がインディーに目をつけた。7年前自らを「高級なレストラン」と自称したソニーが!という向きもあるかもしれませんが、その比喩はあくまで一側面を端的に 描写したにすぎません。古くは『ゲームやろうぜ!』、今では『PlayStation C.A.M.P』を主催しています。事実を精確に踏まえれば、INDIE STREAM は至極真っ当な展開だと認識されるはずです。
あまりに多くのゲーマーたちが高級料理に食傷した現在、各社はすでにいくつかの施策を打ち出しています。直接的にゲーム内容を制御するスタンスもも ちろん間違いではありません。他方、SCE の判断が、在野の・市井の・裾野のクリエイターにその価値と流動性を委ねることだった。それ以上でもそれ以下でもないでしょう。
ゲームの面白さは、極端に表現すれば神秘的なものです。しかし、神聖不可侵ではありえません。そして私はただ、面白いゲームをプレイしたいだけです。
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