『スマブラ』で一番を目指すプレイヤーたちの歴史がここに。EVO参戦後に急成長を遂げた競技シーンの軌跡(第2回 運営編 後編)
前回の記事「『スマブラ』で一番を目指すプレイヤーたちの歴史がここに。EVO参戦までの国内競技シーンを紐解く(第1回 運営編 前編)」に引き続き、今回は国内外で築かれてきたにもかかわらずメディアに大きく取り上げられることもなかった『大乱闘スマッシュブラザーズ(以降、スマブラ)』の競技シーンをさらに紐解いていく。今回は「Evolution 2013(以下、EVO)」への競技種目採用が決定し『スマブラ for 3DS』が発売された直後から、急速に成長を遂げる国内外の競技シーンについて。高度経済成長期のように成長していくかたわら、新たに生まれていく競技シーンのストーリーや人気が沸騰するゆえの問題、そして日本のesports全体への話を触れていく。
・1999年1月 NINTENDO64 『任天堂オールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』
・2001年11月 ニンテンドーゲームキューブ 『大乱闘スマッシュブラザーズDX』
・2008年1月 Wii 『大乱闘スマッシュブラザーズX』
・2014年9月 ニンテンドー3DS 『大乱闘スマッシュブラザーズ for Nintendo 3DS』
・2014年12月 Wii U 『大乱闘スマッシュブラザーズ for Wii U』
ふたたび始まる公式大会、Apex 2015事件
アユハさん:
2014年9月には「ウメブラ8」が開催され、この時の決勝の動画が20万回も再生されたんですよね。
※20万回再生された動画。「ウメブラ8」決勝 にえとの vs. あばだんご
Rainさん:
『スマブラ for 3DS』が発売されてから3日か4日だよね。
アユハさん:
3日ですね。ここまで築いてきたインフラがもうあったので、大会の結果や動画などはすぐアップロードできた。発売直後ということもあって、ライトユーザーふくめ見る人が多かったですね。
エルさん:
それまで200人を超えた大会は2012年に開催された「Sun Rise Tournament(SRT)」しかなかったんですけど、『スマブラ for 3DS』ではその規模をいきなり発売3日目で超えた。
アユハさん:
今までのノウハウが活きたんですよね。
エルさん:
いろんなプレイヤーが『スマブラ for 3DS』を始めたという背景もありましたね。同窓会的なノリで初代『スマブラ』のプレイヤーも『スマブラDX』のプレイヤーも戻ってきた。別の格闘ゲームのプレイヤーも、『スマブラ』に今まで興味があったからこの機会にやろうかなとか。「ウメブラ8」に参加したのは、純粋に『スマブラ』だけをやってきたというプレイヤーが半分ぐらい、残りの半分は昔辞めたプレイヤーとか、ほかの界隈のプレイヤーでした。
アユハさん:
その後、2014年10月に「にえとの(※)」さんがプロになりました。
エルさん:
『スマブラ for WiiU』の日本プロプレイヤーは初めてで、かなりインパクトがありましたね。『スマブラDX』の「aMSa」さんは海外チームのプロだったんですけど、「にえとの」さんは国内のマルチゲーミングチームに所属したので、事情がまったく違うんですよね。国内でほかのゲームに参戦していたプロのチームが、日本国内で『スマブラ』の競技シーンに参加したということなので。このころ、2014年11月には「Game8(※国内の総合ゲーム攻略情報サイト)」さんというゲーム攻略サイトに協力してもらったりして、「ウメブラ」の雰囲気もだんだん変わってきたんですよね。
エルさん:
ちなみに2014年10月、11月に公式大会(大乱闘スマッシュブラザーズ for Nintendo3DS/ Wii U 2on2プレミアムファイト)があるんですよ。2on2で競技ルールとはまったく違うんですけど、Wiiの『スマブラX』ではなかった公式大会がひさびさに開催された。
※ 2on2プレミアムファイト 決勝戦 実況解説。解説は初代『スマッシュブラザーズ』で知られる及川名人。
アユハさん:
公式大会もあったねって話なんですけど、歴史的に重要な公式大会はさらに後に登場します。12月に『スマブラ for Wii U』が発売されて、その後に「Apex 2015」に日本から10人ぐらいが行きます。実はこの「Apex 2015」は、Nintendo of AmericaとTwitchがパートナーとして参加した大会なんですよ。で、「Apex」が初めて任天堂に認められた上で開催されて盛り上がっていたんですが、いざ会場に着いたらホテルがぶっ壊れていた。これは英語圏でもたくさん記事があって、アメリカのゲーマーなら『スマブラ』をプレイしない人でも知っているぐらいの事件でした(※)。それで、この体制の「Apex」はこの年で最後になってしまった。
アユハさん:
会場が当初決められていたホテルからかなり遠くなって、夜3時ぐらいに大会が終わったのに帰り道がない。車でも1時間ぐらいの距離。僕も命の危険を感じるくらいだった(※編集部注釈: 大会は2015年1月30日から2月1日までの日程で開催、当時現地の最低気温はマイナス1℃からマイナス2℃まで下がっており、深夜は極寒状態となっていた)。
エルさん:
これ、最悪誰かが死んでもおかしくなかったですよね。
Rainさん:
なぜこんな深夜まで試合が行われていたかというと、3日間の開催だったのに中一日潰れてしまって、残りの2日間で当初予定してた内容をやり切ったんですよね。
アユハさん:
試合が終わったあと、このまま帰ることができなかったら、俺たちここで死ぬのみたいな。その時に、お前たちに車を呼んでやるって二台出してくれた「BAM(バム)」っていう人がいた。それが今「2GGaming(※米国で『スマブラ』を主催する非営利団体)」と「Esports Arena(※米国にある屋内アリーナ、およびその運営会社)」の社員をやってる人で、日本勢でも実況で見たことがあると思うんですけど、あの人がその時の「あばだんご」「にえとの」「aMSa」といった日本勢を助けてくれた。しかも「2GGaming」は関西の古森霧さん(※)をスポンサードしてくれていて、日本勢に多大な貢献をしてくれてますよね。
アユハさん:
この「Apex 2015」以降、アメリカの『スマブラ』勢は、こんな大会をやっていたらesports界隈から『スマブラ』は見捨てられるという危機感を持つようになりました。なので、ここ最近はコミュニティの大会がしっかりしていて、運営もモチベーションが高いです。
『スマブラfor Wii U』高度経済成長期
――「Apex 2015」はひさびさの公式認可大会、ただ、大きな失敗でつまづいてしまった感があります。
アユハさん:
でもその後、『スマブラ for Wii U』が「EVO 2015」の種目に採用されることになった。2015年7月からは、『スマブラ for Wii U』の高度経済成長期なんです。「ウメブラ」も「スマバト(※ 関西最大の『スマブラ』非公式大会)」も開催されて、頻度が高い上に集まるのが毎回200人ぐらい。2015年7月には、「EVO 2015」に日本勢が10人ほど行って、「あばだんご」さんが4位に入ったんですよ。「EVO 2015」を機に、『スマブラ for Wii U』も『スマブラDX』もすごく盛り上がったんです。
Rainさん:
盛り上がってはいるんですけど、「EVO」への不満もありましたね。参加者数1位の『ウルトラストリートファイターIV』のエントリー数が2000人ぐらいいて、2位の『スマブラ for Wii U』も約2000人とほぼ同じなのに、大会での扱いが雑に感じました。
――具体的にはどの辺りが雑だったんでしょう?
アユハさん:
スケジュールも雑だし、ルールもいつもと違う。
エルさん:
しかも決勝戦が開催されたのが2日目なんですよね。
アユハさん:
最終日の3日目じゃないんです。
エルさん:
メインの種目ではなかったんですよね(※編集部注釈: 同年、『スマブラDX』は3日目の最終日種目に採用されている)。
Rainさん:
普通に考えたら、ありえないじゃないですか。1位の『ウルIV』と100人程度の差しかなかったのに。『スマブラDX』があるので、メイン種目に同じ『スマブラ』は2つもいらないだろうという感覚があったんじゃないでしょうか。
――出自が格闘ゲームでないということも考えると、なかなかすぐに同列には扱いづらかったのかもしれませんね。
Rainさん:
コミュニティはとても盛り上がっているんですけど、扱いが難しいタイトルだなとは思いますね。『スマブラ』のプレイヤーにとっては違うタイトルなんですけど、ほかのゲーマーにとっては2つの『スマブラ』は同じタイトルですよね。
アユハさん:
2015年8月には、「ZeRo」と「Nairo」がそれぞれ「Team SoloMid」と「Team Liquid」という、大型のesportsチームに入りました。もうこの辺りからはプロの人が増えすぎて、すべては把握しづらいですね。9月には「ウメブラFAT」が開催されました。これは「EVO」に行った日本勢が声を掛けて、「Nairo」「Ally(※)」「Vinnie(※米国の『スマブラ』プレイヤー)」の3人を日本に招待した。発売から1週年記念の大会として開催されたら、320人が集まった。昔を思い出すと信じられないほど人数が多くなったことを実感した大会でしたね。
※「ウメブラFAT」決勝 Nairo vs. 古森霧
エルさん:
『スマブラ for Wii U』が発売されたのが2014年12月、そこから2015年に入って2月か3月ぐらいに告知しました。『スマブラX』で「SRT」を開催したので、それを復活させるぐらいのモチベーションで「ウメブラ」のスタッフが集まった。
アユハさん:
「SRT」のスタッフと「ウメブラFAT」のスタッフは被ってますね。僕も「SRT」の生き残りなんで。
――残っていた熟練のスタッフが、『スマブラ for Wii U』の流れに乗ってさらに大きな大会を開いたわけですね。
エルさん:
「SRT」からひさびさにコミュニティ大会で海外の選手を呼んで、さらに300人越えは初ですよね。ちなみにこの時に優勝したのは、アメリカでダントツ2位の「Nairo」です。
アユハさん:
その上に「ZeRo」っていう、わけがわからないくらい強いのがいて。「ZeRo」は「EVO 2015」では1ゲームも落としてないんです。化け物ですよね。
エルさん:
「ZeRo」が出ていない大会は必ず「Nairo」が優勝するっていうのが続いていた。
アユハさん:
間違いなく「Nairo」「ZeRo」の二強時代ですね。「Nairo」は2012年のデビューの年に、「おおとり(※国内の『スマブラ』プレイヤー)」さんとかとの戦いで因縁があって、それがきっかけで日本が好きになって「ウメブラFAT」に来てくれたのもあります(※)。
さらに続くシーンの拡大、ランクの導入
アユハさん:
2015年10月の「The Big House 5」は、「あばだんご」さんが生放送でドネーションとしてファンからお金を集めて遠征した初の大会ですね。2015年に『スマブラ』で寄付を得て海外遠征を1人でやってる人がいたんですよ。
エルさん:
この年の7月に「あばだんご」さんは「EVO 2015」で4位になり知名度もあったので、その経緯もあってみずから動いていた。「あばだんご」さんがそういうのを始めたおかげで、海外遠征に対する心理的なハードルはかなり下がりました。
あとは2015年11月から翌年にかけて、「闘会議」での大会(闘会議GP「大乱闘スマッシュブラザーズ for Wii U」)があります。これはユーザー大会を予選にして「闘会議」でファイナルをやるという大会なんですが、任天堂が世界共通の競技ルールで開催したということもあり、参加者も凄く多かった。
Rainさん:
これも盛り上がりましたけど、嬉しい出来事の中の1つという感じですね。この時期はイベントがありすぎて、海外にも行けるし日本の大会もあるしという。
エルさん:
夏に「EVO 2015」があって、9月に「ウメブラFAT」があって、2016年1月には「Genesis」という大会の第1回が開催された。そのあいだにあった大会ではありますね。
――まさに『スマブラ』の高度経済成長期。
Rainさん:
1年間ぐらいで、今までの10年間以上の濃度がありますよね。
アユハさん:
2016年1月の「Genesis」には日本から30人ぐらいが行きました。「Apex 2015」で大変なことになったので、その代替として発足した大会ですね。
エルさん:
「Genesis」が初めての大会参加という海外プレイヤーは多かったですね。「EVO 2015」は僕たち3人とも行ったんですけど、『スマブラ』の参加者は運営だったりプレーヤーだったりと、もともとモチベーションが高い最前線の人たちだけが行っている印象だった。
Rainさん:
冬のビッグタイトルが「Genesis」、夏のビッグタイトルが「EVO」。『スマブラ』という観点で見るなら、「Genesis」の方が「EVO」よりもビッグタイトルですね。
アユハさん:
これに続いて、2016年からは世界ランクという概念が生まれてきます。大会の結果でランクが変動し、さらにその大会にもランクが存在している。たとえば「あばだんご」さんは「Pound」という大会にドネーションで遠征したんですが、そこで優勝しました。「Pound」はAランクの大会で、日本勢がAランクで優勝したのは唯一となりますね。
エルさん:
大会ランクは、海外の大会団体が格付けをするんです。Aランクより上の大会は「EVO」とか「Genesis」みたいな大きな大会で、Sランクです。Aランク大会は年間に20回ぐらいある。ノミネートのボーダーラインとなるCランク大会は平日もやっていたりするので、すべて含めると年間数百試合になる。