『FF7』のセフィロスをAIアートで泳がせようとするも、海上に立つ絵ばかり生まれる。意地でも片翼の天使を泳がせたくないAI
インターネット上ではしばし、公式では存在しない概念を再現しようとするユーザーが一定数存在している。そういった試みはイラストによって再現されることが多いが、昨今ではAI技術を用いた画像生成サービスを利用したものも増えてきている。そんな存在しない概念を生み出そうとした結果、Twitter上で話題となっているのが「AIが泳ぐ概念を理解できず、海上に立ってしまうセフィロス」というAIイラストだ。
イラストレーターのデオン氏はMidjourneyを用いて、『ファイナルファンタジーVII』に登場するキャラクター、セフィロスを主人公とした架空の漫画を制作している。それらはお菓子の城に迷い込んだセフィロスや、神羅カンパニーの社食でラーメンを振る舞うセフィロスといった内容で、どれも公式のセフィロスからはかけ離れた概念の漫画だ。そうした試みの中で生まれてしまったと思われるのが、今回話題となっているAIイラストだ。
デオン氏は、以前よりどうにかしてセフィロスが泳ぐ姿をAIイラストで再現しようとしていた。なぜかは不明であるが、セフィロスを海で泳がせたかったようだ。セフィロスのいろんな一面を見たかったのかもしれない。しかし幾度となく試行錯誤したものの、どうやらAIは泳ぐという概念をあまり理解できなかったようだ。何度も泳がせようとするも、頑なに泳がない。その結果、どうあがいても海上に立つセフィロスの雄姿がこの世に生まれてしまったようだ。この現象が起こってしまうのは、AIの学習データが起因していると思われる。
AIイラストは既存のイラストを学習し、画像を生成する。つまり、学習元となるイラストで再現されていない概念については、うまく生成できないのだ。インターネット上ではAIイラストかどうかを判別するための手段として、指先やレースのような装飾が破綻しているかどうか、というのが指標のひとつになりつつある。これも同様の理由で、イラストレーターが苦手とする構図・部位は、結果的にAIも苦手となりやすいのだ。
泳いでいるイラストは描画の難易度が高く、あまり見かけない構図だ。そもそもとしてセフィロスが原作で海で泳いでるシーンはぱっと思いつかないだろう。AIが学習するためのデータが圧倒的に不足しているため、セフィロスにかかわらず、泳いでいるAIイラストの生成は難航しているようだ。実際にTwitter上では、AIに人が泳ぐイラストを出力させようとして、うまくいかなかったという事例が多数報告されている。
なお、泳ぐ以外にもAIがうまく描けない描写シリーズは存在しているようだ。Twitterでは『アイドルマスター シャイニーカラーズ』に登場するアイドル、樋口円香がラーメンを食べる画像を生成しようとして、シュールな姿となってしまったAIイラストが投稿されている。AIには丼をもち、箸をもって麺をすするという複雑な構図も難しいようだ。
デオン氏は後日、具体的なポーズの指示をおこなってみたものの、なんともいえない残念な姿となったセフィロスのAIイラストを投稿している。これはまだ人の姿を保っている部類で、ほかは冒とく的な肉塊ができてしまったとのこと。AIに人が泳ぐ姿を再現させるのは、やはり一筋縄ではいかないようだ。
海上に立つセフィロスの姿に対して、「セフィロスが泳ぐわけない」「まるでモーセみたい」「水の上を歩いたキリストも、セフィロスも髪の長い男性であり、同じ神性な存在なので当然」といった反応が寄せられている。AIイラストの性質について考察する人がいる一方で、そのシュールな姿を楽しむ人も大勢いるようだ。そして現在では、かたくなに泳ぐセフィロスを生成しようとしないAIに対して、「AIはセフィロスを泳がせたくないのではないか」という大喜利へと変化しつつある。
たしかにセフィロスは、片翼を生やし、身の丈よりも長い大太刀を得物に戦う。その姿に、憧れを抱いた人もいたことだろう。そのような憧れの人物が、必死に海を泳いでいる姿を生み出そうというのは、たとえAIでなくとも冒とく的な行為といえるのかもしれない。
学習データの都合から泳ぐセフィロスを再現できないという出来事は、結果としてユーザーたちにとって楽しまれているようだ。事の発端であるデオン氏も、こうした大喜利の流れに便乗。のちにサーフィンですら海上に立ってしまうセフィロスのAIイラストを投稿している。セフィロスを神格化したいAIにとっては、どうやらサーフボードを使うことさえ無粋らしい。
AIイラストはその是非について、現在もインターネット上で多数の議論が交わされている。AIイラストと比較し、クオリティを理由にイラストレーターを誹謗するといった事例が問題視される一方で、こうした面白い出来事が生まれることもある。とはいえ、原作のイメージを壊しかねないので、あくまで二次創作としての範囲内で楽しむべきだろう。今後もAIアートにまつわる動向を確認しつつ、AI技術が悪用されることなく利用される社会となることを願いたいものだ。
※ The English version of this article is available here