天才とゲーム
ゲームに関係ありそうでほとんど(あるいはまったく)関係のない話題をお届けするのが「Not Gaming」です。ゲームからあえて距離をおくことにより、執筆者の背景や骨格をあきらかにすることを目的としています。編集部メンバー全員の持ち回りで毎週日曜日更新予定。
第1回は「天才とゲーム」について。
小学校のころ神童扱いされたタイプ
私、安田は中高一貫のいわゆる進学校に通っていました。ゲームをするために早起きしつつも猛勉強し、中学受験をクリアしたのです。入学試験の年、それは阪神大震災の年でもありました。JR西日本も正常に運行しておらず、数駅前から倒壊した街並みを無心で歩み受験会場へ向かったときの心持ちと光景は20年経ったいまでもはっきりと思い出せます。学校の一部は遺体安置所になっていました。
入試へ挑んだときの集中力たるや我ながら尋常ではありませんでした。試験会場で他の受験生から小学生ならではの稚拙な煽りをうけたときすら心は完全に凪のまま。今思えば、あれこそが私にとって人生最高のコンディションで受けた「テスト」でした。以降、大小をとわずおよそすべての試験でろくな結果を残していませんが、それはまた別のお話。
会心の手応えは合格へつながりました。当然ゲームは完全に解禁。なかば徹夜のようなペースでプレイした人生初のゲームはSFC『フロントミッション』です。発狂したようにプレイしていたので陰鬱なストーリーはあまり気になりませんでした。
即挫折
しかし心が折れる音を聞くまでにさして時間はかかりませんでした。必死になって入りこんだ空間は、"天才"のたまり場だったのです。夜郎自大・井の中の蛙大海を知らず、鶏口となるも牛後となるなかれ……。とにかくなにもかもレベルが違いすぎました。わらわらいた猛者としてはたとえば模試で偏差値カンスト(99.9。予備校によっては3桁目があるそうです)・将棋であっさり全国優勝・ピアノで留学・硬式テニスで海外遠征・入学して最初に書く文集によせたのが数学論文(今読んでも私は理解できません)、などなど。手合い違いにもほどがあります。
私の自尊心とやる気は急速に失われてゆきます。素行不良となり、勉強も真面目にせず、成績は下から数番目。定期考査では0点を獲得してしまったことすらあります(数IIIと物理。ただし赤点だけは回避)。最終的に残ったのはゲームをふくむファンタジー世界へのこだわりだけでした。ラノベとゲームだけが心のよりどころだったのはほろ苦い思い出です。
それにしてもどういう理屈とメカニズムなのかいまだよくわかっていないのですが、とにかくあの学校は"天才"のバーゲンセール状態でした。「お勉強の成績」はいうにおよばず、身体能力の平均レベルもけっして低くありません。世間一般から想像されがちなガリ勉タイプは少数派です。勉強も運動も、およそ趣味と呼べる行為も、なにひとつしなかった私の学内カーストが最底辺に指定されるのは道理でした。
ちなみに同級生から借りたカネでゲームセンター通いしていましたが、まだその借金を返せていません。利息はいくらくらいにふくらんでいるのでしょうか。いつか返すと決心してから10年くらい経過しました。
"天才"の定義
けっして勉強が苦手というわけではなかった私の士気が徹底的に下がった理由の大半はまず間違いなく"天才"の存在にありました。周囲が"天才"だらけの環境。それは凡夫が入門してよい、するべき空間ではありませんでした。
先ほどから引用符つきで"天才"と繰り返していますが、それは私が認識する"天才"の定義がおそらく世間一般のそれと乖離しているからです。"天才"とはなにか。私は「あらゆる局面においてきわめて高い適応力とパフォーマンスを横断的に発揮する資質」であると考えます。
限定的な分野において高い能力を持つ人間というのは少なくありません。ただしそれは"天才"ではなく、いわば"専門家"です。こと座学についてだけいえば"秀才"と表現されることもあるでしょう。
「なんでもできる」
ただ、"天才"性にも程度差があります。本稿を書くにいたったのは、"天才のなかの天才"と呼ぶにふさわしいクラスメートのS君が私の人生観へ与えたインパクトがあまりにも大きかったからです。彼以上に「逸材」という形容が似合う男を私はいままでお目にかかったことがありません。
入試を1位で突破し、入学後もトップクラスの成績を維持し、フィジカル面も強く、人格美人で、裏表がなく接しやすく、人望も厚く、クラス委員も務める、名実ともに文句なしのリーダー。そんなS君は、いま私が考える"天才"の要件をすべて間違いなく満たしていました。
衝撃的な「事件」がありました。彼をふくめた数名とゲーセンに行ったときのこと。当時、『電脳戦機バーチャロン』がはやっていました。学校のゲーム仲間のあいだでもその技量を競いあったものです(一過性でしたが)。
初代『バーチャロン』をご存知の方にはおわかりいただけるであろうとおり、初心者脱出レベルの技量に達するためのプロセスはつきつめると「いかにして前ダッシュ攻撃を当てるか」に帰結します。文字にすると単純ですし実際操作もそれほど複雑ではないのですが、いざ実践となるとそれほど容易ではありません。そもそもシンプルな操作体系のなかに闇のような奥深さを内包しているのが『バーチャロン』です。
私をふくむ数名はすでにある程度やりこんでおり、すくなくとも対CPU戦ではさほど苦もなくラスボスを倒せるくらいになっていました。しかし、それはもちろんのこと山盛りの電脳スクラップと100円(50円)玉の犠牲があってこそです。
S君は違いました。はなはだ簡単な説明を受けて、プレイ画面と様子を観察して、数プレイ後……いえ、記憶があいまいなのですが初プレイだったかもしれません。彼は言い放ちました、「なるほど。こーやるんか」。彼のテムジンは3面のドルカスに華麗な斜め前ダッシュビームライフルを直撃させていました。初心者殺しのドルカスをです。
学習の本質
彼は特別ゲームを好んでいたわけではありません。たしなみ程度にプレイしていたという方がしっくりきます。また、ゲームの天稟があったというわけでもなさそうです。であれば彼の異常な上達速度はなんだったのか。それはまさしく"天才"性、すなわち「適応力」にほかなりません。
学習の本質とその優劣は、とかく反復練習の度合いとそれを実行する意志力、そして記憶力などと混同されがちですが、私が考えるかぎりそれは正しくありません。本質的には、環境への適応こそが学習ではないでしょうか。無論、ゲームの上達もそれにふくまれます。
"天才"がゲームですら才覚をみせるのは、複数の分野を横断する適応力があるからと思われます。言いかえれば、ゲーム以外で学んだことをゲームに応用することができる。それが"天才"の"天才"たるゆえんといえましょう。彼らはつねに精神的ジェネラリストであり、年齢を重ねて特定の分野に特化してもなおそれは変わらないようです。
勉強家は学習そのものを専門分野にしますが、"天才"にとっては体験することすべてが学習なのかもしれません。凡人とはべつの感覚器官の持ち主、そう"天才"を形容するのは陳腐ではありますが核心をついています。
適応し、能力を応用し、拡大する。"天才"の凄みはそこにあります。
"ゲームの天才"はありうるか
表現としてはありうるでしょう。ゲームという限定的なドメインにしぼりこむことが"天才"の定義に若干矛盾しますが、さりとて世界のあまねく現象すべてに触れられる人間というものもまた実在しえません。「ゲームだけ」と区切ったとしても、その学問は数十年程度で学びきるにはあまりに広大です。
ゲームの場合、反射神経や入力の正確性、判断力などなど、どちらかといえばスポーツに近い技能が比較的多く要求されます(ですから競技系ゲームシーンをe-Sportsと表するのはなかなかシャープです)。そして、それらは当然に作品横断的な技術向上がありえます。いささか極端な例示をすると、短距離走の訓練により長距離走の記録がいくらか伸びる蓋然性が高いということです。
特定のタイトルのスタープレイヤーが"天才"であるかどうかはわかりません。"天才"性を凌駕する膨大かつ単一の訓練をくぐりぬけた成果かもしれません。ただ、どちらかというと複数のタイトルをプレイし、その経験を応用するだけの適応力を持つプレイヤーがより勝利に近いであろうとは推測されます。それはジャンルを越えたものかもしれませんし、そうでないかもしれません。ただ、ゲームプレイ以外のことからなにかを吸収している者のほうが、一般的にはよりしなやかに・したたかにゲームに挑めるはずです。
つまるところ、もし"ゲームの天才"が存在するとすれば、その人は単純に"天才"なのです。
"天才"と相対したときに
結局のところ何が言いたいのか。それは"天才"と何事かについて争うことになった場合の対処法です。正答はじつにシンプル。すなわち「敗北を受け入れるべし」。"天才"(の群れ)の前に屈することすらなくただただ腐ってしまった私からの、ちょっとした進言です。
才能はくつがえりません。くつがえる範囲の変数は才能と呼ぶべきではありません。であれば、もっとも前向きな思考というのは諦観です。一度完全に負けを認め、所属する組織や課せられた義務など、すべてにたいしフラットな視点を持つこと。言葉にするとネガティブですが、現実的には最大限ポジティブな考え方であると、あえて私は断言したいと思います。個体として"天才"を制するは"天才"のみ。無為にあらがうよりも、戦いを回避するかほかの"天才"を召喚して当てるかするのが現実的です。
しかし安心してください。"天才"は普通はそんなにごろごろと転がってはいません。たとえばもしあなたがなにかの対戦ゲームで負けたとして、ほとんどのケースでは敗因は相手の"天才"性にはありません。ただ、そのタイトルと関連作品をプレイした時間に差があるだけです。
万が一、本当に"天才"と対峙してしまったら。そのときはそう、すぐに撤退しましょう。プロフェッショナルでなければその逃避は容認されます。そしてあきらめて一休みするか別のゲームで遊ぶかするのです。あなたもまた"天才"でないかぎり。