書評『プリニウスと怪物たち』 ゲームに登場するフィクションの元ネタ

ゲームに関係した書籍を紹介する定期連載のGamer's Bookshelf。今回は夏休みということもあり、すこしばかり趣向をかえて澁澤龍彦の『プリニウスと怪物たち』を紹介したい。

澁澤龍彦は1928年生まれ1987年没の小説家、フランス文学者である。とくに『悪徳の栄え』の翻訳を通して、マルキ・ド・サドを日本に紹介すると同時にそのわいせつ性をめぐって裁判に巻き込まれたことで有名である。そのほかにも澁澤が日本に紹介したものは幅広く、ポップカルチャーにも大きな影響を与えている。ダダイズム、シュルレアリスムといったヨーロッパのモダニズム思想、エロティシズムやSM趣味といった西洋の異端思想、さらには現在でも人気が高い球体関節人形の創始者となったハンス・ベルメールなど、彼は旺盛な好奇心によって多様な文化を紹介してきた。

だがわれわれゲーマーにとって、もっとも興味深いのは彼の博物学や幻想文学における業績だろう。それらの著作のなかで彼は、ドラゴンやユニコーンといったわれわれにもなじみ深い古今東西の怪物について論じ、みずからもまた不思議な怪物が登場する小説を書いている。なかでも事実と虚構が入り混じった遺作『高丘親王航海記』は幻想文学として名高く、ゲーマーにとっても一風変わったファンタジー小説として楽しめる。

本書はそのような澁澤龍彦の著作の中から、とくに怪物について論じたエッセイを集め、文庫化したアンソロジーである。タイトルの通り、おもに古代ローマの博物学者プリニウスの『博物誌』に登場する幻想的な動物たちを、博物学や錬金術といった視点から紐解いてゆく。古代や中世の人々の奇抜な想像力はただ読んでいても楽しいが、今回はゲーマー視点として、登場する怪物をゲームでのイメージと比較して紹介していこう。

 

文庫のわりに挿絵も多く、気軽に楽しめる。
文庫のわりに挿絵も多く、気軽に楽しめる。

 


博物学と怪物たち

本書の内容に入る前に、ごく簡単に博物学という学問を説明しておこう。

博物学(Natural history)とは、動物、植物、鉱物といった自然物を記録収集して分類整理する学問である。自然界のものを収集して分類することは古くからおこなわれており、プリニウスの『博物誌』も古代ローマ時代の1世紀に発表されている。大航海時代以降は世界各地の探検によって、未知の生物や植物の標本が数多く持ち帰られ、近代の植物学、動物学、生物学といった自然科学の発展につながっている。

しかしながら現代人にとっては、そこに描かれている動植物の数々はとても科学的な興味にもとづいているようには思えない。実在の動植物と並列する形で巨人や小人、一角獣やドラゴンといった空想上の怪物たちが登場するのだ。これらの怪物が実在のものに入り混ぜられた理由は、神秘思想、錬金術、キリスト教と多様に存在しており、本書でもその背景の思想が解説される。とはいえゲームを楽しむ我々にとっては、ファンタジーの起源となった中世や古代の世界観を体験できるだけで楽しいものである。

 

博物誌に登場する一本足の人間スキヤポデス[画像出典:Wikipedia]。ゲームでは『魔導物語』および『ぷよぷよ』シリーズに登場する。
博物誌に登場する一本足の人間スキヤポデス[画像出典:Wikipedia]。ゲームでは『魔導物語』および『ぷよぷよ』シリーズに登場する。

 

いずれにせよ、近代の自然科学の背景には、これらの奇想に富む博物学が存在していた。澁澤も本書の中で以下のように述べている。

これらは、厳正な自然や風俗の観察というよりも、むしろ珍奇なものや怪異なものに対する趣好によって書かれているため、往々にして事実から離れ、荒唐無稽に近づく欠点はもってはいるが、それでもなお、文化史や美術史の上から、見逃すこのできない貴重な価値を有する資料である。ちょうど錬金術の探求から近代化学が発達したように、これらの怪物の分類や記述から、近代の動物学は誕生したとみるべきだろう。現実と伝説とは互いに相補って、博物学の進化を促したのである。(本書80p.)

いうならば、博物学は現代の自然科学とファンタジー世界の双方の共通の祖先である。RPGに登場するモンスターの多くは、博物学の怪物をルーツとしている。その記述は現実の自然界に当てはめることはできないが、剣と魔法の空想の世界を読み解くためには格好の素材である。トールキンなどの近代のハイファンタジーと並んで、ゲーマーにとって興味深い"教養"の一部といえるだろう。

 


サラマンドラと錬金術

 

サラマンドラ、もしくはサラマンダーは古代人が火中に棲むと考えていたトカゲである。語源としてはサル(塩)とマンドラ(洞窟あるいは隠遁所)に分けることができ、暗い洞窟から生まれた塩、もしくは火の精であるという。火トカゲという名前でも知られている通り、ビデオゲームの中でもほとんどの場合はトカゲやリザードマン、もしくはドラゴンのような姿をしており、炎を吐いたり、火の属性を持っていたりする。

わかりやすいキャラクター性を持っているため、古くからRPGのモンスターとして親しまれている。他にもSTGの『沙羅曼蛇』では龍の姿、SRPGの『バハムートラグーン』では「サラマンダーより、ずっとはやい!!」の名言とともに記憶に残る飛竜の姿で知られているだろう(もっともあれはレッドドラゴンの個体名ではあるが)。個人的には『ロマンシング サ・ガ2』に登場する炎に強い寡黙な種族の印象が強い。

このサラマンドラに対する言い伝えは、古くは古代ローマのプリニウスの『博物誌』にまでさかのぼることができる。そのころからすでに「非常に冷たいので、その身体にふれると、氷にふれたように、火もたちまち消えてしまう」という火に対する耐性を持つことが知らており、現在のサラマンドラ像につながっている。

問題はこの火の解釈が様々なものにわかれていることだ。実際にプリニウス自身も同じく『博物誌』の中で、ローマ人のセクスティウスによる異伝を記している。それによれば、サラマンドラを食べると性的欲望が昂進するというが、この動物が火を消すことはないと伝えているのだ。

 

フランソワ1世の大砲に刻まれたサラマンドラの紋章と銘句。
フランソワ1世の大砲に刻まれたサラマンドラの紋章と銘句。

 

このようにサラマンドラの火を情欲の炎として見立てる解釈は、別のケースでもみられるようだ。とくにキリスト教の影響力が強かった中世からルネサンスにかけては、プリニウスの伝える説とは逆に情欲を消す純血の象徴としてサラマンドラは愛されていた。またフランス王フランソワ1世の紋章には、サラマンドラの姿が「Nutrico et extinguo(我は育み、我は滅ぼす)」という銘句とともに記されており、これもまた炎を人間の情欲と見立てたものだという。

さらに中世の錬金術では、この火を物理的なものとしてではなく、精神的なものと解釈する。そこでのサラマンドラは情欲の火を消す象徴としてではなく、錬金術の火によって精錬した賢者の石のシンボルとして扱われるのだ。澁澤は錬金術士たちの著作を参考にしてこの説を仔細に検討しているが、ゲームの中ではあまりなじみのない考え方である。

 

サラマンダーと魔道士。錬金術のイメージがはっきりと残っている。
サラマンダーと魔道士。錬金術のイメージがはっきりと残っている。

 

しかしながら、『ロマンシング サ・ガ2』に登場するサラマンダーのエピソードを思い返してみると、そこには錬金術のイメージが残っていることに気が付く。コルムーン島のイベントにおいて、プレイヤーはここでしか手に入らない貴重な冥術と同じく貴重な種族サラマンダーを天秤にかけることになる。この二者択一の選択肢において、プレイヤーはサラマンダーを犠牲にすることによってのみ冥術=錬金術の秘法を得るわけである。さらに冥術復活をもくろんでいた魔道士の姿は見るからに錬金術士であり、様々なトリックでプレイヤーをあざむく魔道士の砦は錬金術士の館を思わせる。

多少深読みかもしれないが、『ロマンシング サ・ガ2』のコルムーン島のイベントにはサラマンドラと錬金術の関係をにおわせるモチーフが散りばめられているように思える。

 


一角獣と処女

 

一角獣(ユニコーン)はファンタジーではもちろん、中世のシンボルとしてももっとも人気が高い架空の動物のひとつであり、宗教家、芸術家、医者、錬金術士、貴族、武士もこのシンボルを用いている。一角獣が最初に言及されたのは、紀元前4世紀後半にペルシア軍に捕らえれたギリシア人クテシアスの『インディカ』という書物である。そこでは身体は白く、頭は赤く、眼は深い青色で額の上に一本の角があり、その先端は鮮紅色という姿が描かれている。現代のゲームに登場する一角獣は青白く、より落ち着いた色をしているのに対して、古代人が描く姿は昨今のマイリトルポニーのような派手派手しさをもっているのが面白い。

だがその容姿に関しては、古来から様々な説がある。角が2本や3本あったり、体の部分がシカやヤギであったり、その姿形に関してはそれほど定まったものではないようである。だが、その性質の方はみごとに一貫しており、足が非常に速いこと、気性が荒々しく人間にはなつきにくいことが伝えられている。この点においてはファンタジーやゲームの世界に登場する一角獣の性質とも共通しているといえる。

この2つにくわえて、中世ヨーロッパでは一角獣のイメージを決定づけるもうひとつの性質が追加される。それは森の中で無敵の強さをほこる一角獣であるが、処女にだけ弱いという性質である。そのため中世の一角獣狩りの伝説では、この獣を生け捕りにするため、森の中に裸の処女を連れていくというエピソードが何度も語られている。普段は凶暴な一角獣だが、処女に近づくとその頭を膝元にのせておとなしくなるというのだ。

この伝説のために、一角獣はキリスト教においては、受胎告知や処女懐妊のシンボルとして純血と無垢を愛する動物として扱われる。また初期のキリスト教の教父たちの解釈によれば、孤独を好み、森の奥に棲む一角獣は、現世を捨てた禁欲の隠者の象徴であるともいう。だが、処女になつくという性質ゆえに近代に入ると露骨に性的なイメージがつきまとうようになる。そこでは裸体の妖艶な婦人が一角獣の角を愛撫するという絵画が描かれ、もっぱら性的な意図のもと人気を博するのであった。澁澤はこの変化を「世紀末の芸術家の手によって、一角獣はその本来の純血や兇暴性を完全に失い、もっぱら淫蕩な貴婦人のお相手をつとめる、柔弱なエロティックな獣にされてしまったかのごとくである」と嘆いている。

 

なぜペガサスナイトは女性なのか。やはりそこに理由がほしくなる。
なぜペガサスナイトは女性なのか。やはりそこに理由がほしくなる。

 

現在、この一角獣の神聖かつエロティックなイメージを受け継いでいるゲームと言えば、真っ先に『ファイアーエムブレム』シリーズが思い浮かぶ。『ファイアーエムブレム』にはペガサスナイトというユニットが登場する。名前のとおり、天馬にまたがった騎士であるのだが、初期の例外をのぞいてこのユニットはつねに女性なのである。

もちろんペガサスはギリシア神話に由来する別の架空の動物である。だが『ファイアーエムブレム』におけるペガサスに騎乗できるのは女性だけという暗黙のルールは、一角獣と処女の関係を彷彿させるのだ。実際、一角獣狩りのようにペガサスナイトの女性キャラクターがペガサスを手懐けるといったイベントが描かれることもある。たとえばシリーズ最新作の『ファイアーエムブレム覚醒』では、序盤に加入する女性ユニットのスミアは傷ついたペガサスを手当てすることで晴れてペガサスナイトになる。また『ファイアーエムブレム トラキア776』では、明確にペガサスが男性を嫌い、女性にしか心を許さないことが第6章の会話によってしめされているのだ。さらにペガサスナイトのクラスチェンジ先ユニットとして用意されているもののひとつに、ファルコンナイトという一本の角の生えた天馬がある。女性の手によって丹念に育成された天馬が成長して角を生やす。澁澤ならここになにかしらの隠喩を読みこんだであろう。

 


四大の精霊たち

 

精霊という存在はファンタジー系RPGではごくありふれた存在である。本書の中では火の精霊とされるサラマンダーの他に、グノーム(ノーム)と呼ばれる土の精霊について触れられている。グノームは一般に醜い顔をした小人の老人の姿で描かれる。知恵があり、働き者で金属精錬の技術に長けているといった特徴は、博物学とファンタジーで共通している。同様に鍛冶や工芸の技能をもつとされるドワーフは北欧神話由来であり、トールキンの『指輪物語』で一気に広まった別の種族である。

グノームの名前はギリシア語由来であるが、実際にはそれほど古い存在ではない。その名前をつけたパラケルススは16世紀のスイスの医者である。パラケルススは当時、支配的であった古典的医学を批判し、経験と実験にもとづいた近代医学を進展させた人物として知られている。また同時に錬金術士としても有名であり、ゲームに登場する四大の精霊たちの生みの親ともいえる。

パラケルススは『妖精の書』において、四大の元素をつかさどる妖精たちを水のニムフ、風のジルフェ、土のピグミー、火のサラマンドラと名づけた。これらの妖精はニムフがウンディーネ、ジルフェがシルヴェストル、ピグミーがグノーム、サラマンドラがヴルカンという異名をもち、その後の文学者たちの想像の源になっている。文豪ゲーテもまたパラケルススに従い、『ファウスト』の中で「サラマンドラは燃えよ、ウンディーネはうねれ、ジルフェは消えよ、コボルトはいそしめ」という呪文を登場させている。

 

『聖剣伝説3』のノームは定番の小人の姿だが、『Wizardry Online』では女性キャラクターに。
『聖剣伝説3』のノームは定番の小人の姿だが、『Wizardry Online』では女性キャラクターに。

 

これらの精霊たちの名前、今では完全にファンタジーの世界に根付いており、様々な小説やゲームに登場する。たとえば『聖剣伝説』シリーズでは、これら四大の精霊がほぼパラケルススの名づけた通りに登場する。なぜだか風の精霊だけはジルフェ(シルフ)やシルヴェストル(シルフィード)ではなく、アラブの精霊であるジンに置きかわっている。おそらく、精霊のキャラクターに個性を持たせるため、ありがちな風の妖精ではなく、ランプの魔人のような青い肌をしたおじさんの姿を採用したのであろう。

パラケルススによれば、これらの精霊たちは人間に似ているが、魂をもたない。そして魂を得るために人間に求婚しさえするという。さらに都合の良いことに、男性の精霊はグノームのように醜い容貌をしているが、女性の精霊は地上の女性よりもはるかに美しいということになっている。ここから人間の男性と精霊の女性の恋というモチーフが生まれ、数々の小説やオペラなどで描かれている。

ゲームでも異種族間の恋愛や婚姻はストーリー上の重要なモチーフである。たんなるロマンティックなエピソードとしてだけではなく、異種婚姻譚は世界の均衡や破壊を象徴するものとしても利用される。そして、そこには自然の調和が大宇宙と小宇宙の反映であるという錬金術的思想が受け継がれているだろう。科学としては死んだ錬金術ではあるが、ファンタジーやRPGにはその思想が残っているのである。

 


夏のゲームのお供に

 

以上、本書の中から我々ゲーマーがなじみの深い怪物を取りあげてみた。そのほかにもミノタウロス、キマイラ、バジリスクといった有名な怪物から、スキヤポデス、スキタイの羊といったややマニアックな存在にも言及されている。さらに怪物にちなんだ火蜥蜴の革や一角獣の角の杯といった珍品も登場する。魔術的効能をもったそれらの"名物"の数々は、まさしくRPGに登場するアイテムの起源である。

普段はゲームや小説の世界でしか触れることがないこれらの怪物だが、実際の歴史上ではどのように描かれてきたのかを知るのはなかなか楽しい。これらのイメージを比較することでファンタジー世界はより奥行きをもったものとして理解できる。またクリエイターにとっては、博物学に登場するモンスター、エピソード、アイテムは想像力の源となるだろう。

本書は異なる出典から編まれたアンソロジーであるため、相互に重複する記述が多かった。そして、なによりも解説がないのは残念であり、錬金術や新プラトン主義といった本書で語られる思想的な背景はややわかりにくい。ただ文庫本であるので気軽に手にとってみることをおすすめする。ぜひとも夏休みのゲームのお供にしてみてはいかがだろうか。