書評『ニューロマンサー』 サイバーパンクがゲームに与える“未来”
ゲームに関係した書籍を紹介する不定期連載のGamer's Bookshelf。今回は、原文での初出から今年で30年を迎えたSF小説の金字塔、ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』を紹介する。
『ニューロマンサー』は1984年7月1日、カナダで初版出版。日本語訳での初出は1986年、早川書房。SFファンの間では「サイバーパンク」と呼ばれるジャンルの代表作であると認知されている。サイバーパンクも一般的なSFと同様、技術が高度に発達した世界を描き、進んだネットワーク技術やサイバネティックス技術といった要素をそなえている。そのうえで、退廃した世界観やテクノロジーによって変化した人間の価値観を表現している作品が、おおまかにジャンルとしてのサイバーパンクと認識されているようだ。のちの作品に与えた影響は非常に大きく、もちろんゲームにおいても人気のある背景世界といえる。サイバーパンク作品は本作が最初というわけではないが、知名度や他作品への影響を考えると、やはりサイバーパンクといえば本作というSFファンも少なくないはずだ。
難解さとカッコよさ
そんなサイバーパンクを体現する存在ともいえる『ニューロマンサー』だが、非常に読みづらいことでも有名だ。読者のなかでも、途中で読むのをあきらめたという方もいるのではないだろうか。筆者も身近でそういった話を何度か耳にしたことがある。それほど読みづらいのである。原因は主に以下に集約されるだろう。
- 登場人物のひとり、リヴィエラが使うホログラフィが現実と混同するかたちで描写され、読者からも現実なのか幻覚なのか区別をつけにくい。
- サイバースペース内での描写が主人公の主観的に書かれており、こちらもどんどん区別がつかなくなってくる。
- 簡単な説明はあるものの、SF的な専門用語が多用され、描写そのものを見失いがちになる。
こういったぐあいに、読者を容赦なく突き放してくるかのような表現が多いのだ。原文をあるていど柔軟に意訳して読みやすくした「超訳版」があってもいいのではないかと思えるほどである。難解な描写や専門用語の群れにもひるまずに読み進んだ者だけが得られる達成感のようなものも、本作の読後感には含まれているはずだ。難しそうなものはカッコいいのである。映画化についても過去に何度か話題になったことがあるが、今のところ実現されていない。
サイバーパンクというジャンルは当時、新しい視点でのSF世界観を展開したがゆえに支持された。この新しい視点とは「リアルな現在の延長としての未来」ではないかと筆者は考えている。他のSF作品が理想的な、あるいはおおきく飛躍した未来の上で物語を展開していたなかで、現実の汚さやわずらわしさ、洗練されていない部分、退廃感などを強調し「現在の延長」を意識させた部分に当時としての目新しさがあったのではないだろうか。貧困層や組織同士の抗争に代表されるような、利害関係とそれにともなう人間の行動は、人間であるかぎり共感できるはずだ、という本作のモチーフ部分も「現在の延長」を意識させるつくりになっている。
物語の大筋としては、わけあって引退した凄腕ハッカーの主人公が、個性的なクライアントや仲間ともう一度大仕事にとりかかる、という、ある意味まっとうな復活ヒーローものといった流れをとっている。しかし、主人公の動機、クライアントの正体、戦闘を担当する仲間、そして大仕事の対象となる相手、どれをとっても一筋縄ではいかないキャラ付けがされており、それらが前述のような世界観とあわさって、本作を非常に特異なものにしている。
与えた影響の大きさ
本作、ひいてはサイバーパンクというジャンルの発明がもたらした影響は大きい。例をあげればキリがないが、有名なところでいえば映画『マトリックス』や『AKIRA』『攻殻機動隊』シリーズなどが、影響を受けている作品の筆頭といえる。
ゲームでいえば、小島秀夫監督による『スナッチャー』 がまずあげられるだろう。1988年発売なので、『スナッチャー』は当時の最新トレンドをとらえた作品だったといえる。敵役のスナッチャーに映画『ターミネーター』の影響が多分に見られ、世界観はどちらかといえば映画『ブレードランナー』からの影響が大きく感じられる。OPでは「この物語を欺瞞に満ちた世界で闘う、全ての『サイバーパンカー』に捧げる。」とメッセージが表示される、文句なしのサイバーパンクである。
最近のタイトルでは『Deus Ex』シリーズや『Watch Dogs』、『Frozen Synapse』などもサイバーパンクというジャンルに含められるだろう。
体験しているのは未来か
ゲームは映画や小説、その他のメディアにくらべて、体験寄りのメディアだといえる。いいゲームはプレイ中に世界観に没入できるし、主人公に自分を投影してしまうこともめずらしくない。そんなゲームにおけるサイバーパンク、ひいては"未来"の体験は、現実を取り込んでどんどんと進歩している。モチーフとして『ニューロマンサー』発行当時の、そのままのサイバーパンクの世界観を持つような作品があったとすると、現在ではむしろ古めかしさを感じさせるようなものになるはずだ。しかし、前述したゲームタイトルはどれも発売当時の新しい「サイバーパンク観」とでもいうべき要素をそなえている。
『Deus Ex』シリーズはハッキング行動をFPSの操作の延長に落としこんで、より未来を感じさせる世界観になっている。『Watch Dogs』でハッキングに利用する端末は、現代の携帯電話の象徴ともいえるスマートフォンだ。『Frozen Synapse』ではハッカーが主人公だが、その主人公がクローン兵士をハッキング能力で操作して物理的に制圧行動をとる、という逆転の着想からスタートしており、実際にうまくゲームになっている。
サイバーパンクはゲームを先取りしたか?
インパクト優先でこの見出しになっているが、実際にはこの問いにはあまり意味がない。なぜならゲームがサイバーパンクを取り入れたからだ。そして、それはあるていど現実にもあてはまるのではないだろうか。サイバーパンクが現実を先取りしたのではなく、『ニューロマンサー』そしてサイバーパンクが現実に多少なりとも影響したから現在があるのだ、というのは飛躍しているだろうか。技術の進歩の源泉とは技術者の夢であり、もとをただせばこういった物語の世界観に行き着くのでは、というのが筆者の持論である。
先取りという単語からすこし目先を変えて、「サイバーパンクがゲームに"未来"をあたえたか?」という問いにするならば、答えはYesだろう。ゲームは現実に含まれている要素のひとつだ。元のサイバーパンクの概念や世界観だけにとどまらない、常に目新しい要素、つまり"未来"を、現実を通してゲームにあたえている。
オチ、あるいは未読の方への指針
これほどに影響の大きい『ニューロマンサー』だが、前述のようにたいへん読みづらい。それでも読んでみようと思われる方に、心ばかりの指針をお伝えして本稿の締めとしたい。
- よくわからなくてもとにかく読み進める
冗談などではなく、8割以上本気で上記の読み方をおすすめする。一時停止や巻き戻しのきかない映画館での、映像体験のような読み方で読んでみてほしい。以前は途中で挫折した諸氏もきっと読破できるはずだ。かくいう筆者も、もう5回以上通して読んでいるが、いまだにうまくあらすじを人に説明できないでいるのだから。