書評『ゲーム・レジスタンス』
本書は、2008年に交通事故で30歳という若さで他界したゲームライター原田勝彦氏の生前の記事を集めた原稿集である。ゲーム関連のライターとしては若手と言えるため、原田勝彦氏の名前を聞いたことがある人はそれほどいないだろう。しかしながら、インターネット世代のゲーマーなら、彼が運営していた「9bit confusion」というブログを一度は見たことがあるのではないだろうか。
収録されている記事はおもに『ユーズド・ゲームズ』、『ナイスゲームズ』、『ゲームサイド』といった雑誌のものだ。本書も同じ版元であるマイクロマガジン社から刊行されている。内容としては、まず本書の名前に冠されている連載コラム「ゲーム・レジスタンス」(2000~2008年)、編集部とライターがひとつの作品を紹介する「Best Games」(1999~2006年)、その他の単発特集と対談、さらにそれぞれの雑誌の編集後記、執筆記事一覧がまとめられている。
扱われているゲームタイトルはあげるとキリがないが、原田氏の趣味が強く反映された記事が中心とあって、シューティングとレースゲームの比率がかなり多い。対照的にRPGやアドベンチャー、シミュレーションといったジャンルはまったくといってよいほど登場しない。また、ソフトの話題だけではなく、アーケードの大型筐体、ドリームキャストやXboxといった当時を感じさせるハード、さらにはメガCDやスーパー32X、Atari Jaguar、ワンダースワンといったややマイナーよりのハードや周辺機器の話題も収録されている。
ゲームライター原田勝彦が愛したゲームたち
本書で扱われる題材は多様だが、その魅力の大部分はコラム「ゲーム・レジスタンス」におけるゲームに対する原田氏の姿勢である。物語や世界観、グラフィックスや音楽といった外面は脇におき、「プレイすることが楽しい。それが全てではないのか!」と叫ぶ彼は生粋のアーケードゲーマーといえよう。
『ザナック』や『雷電DX』といったシンプルなシューティングゲームに陶酔して、『バーチャレーシング』や『セガラリー』といったレースゲームに熱狂する。あるいは『Midway Arcade Treasures』といった海外アーケードのオムニバスを物色して、Xbox LIVE Arcadeから「イカれた」ゲームを発掘する。その鑑識眼は狭い意味でのアーケードゲームにとどまらず、「破壊・暴走・飛行・殺戮ゲーム」という単純明快な遊びの美学に彩られているのだ。
別の方による書評のなかでは、これらの原田氏の趣味嗜好がマイナー作品にかたよっているという指摘がなされている。たしかに彼が愛したシューティングゲームやレースゲーム、大型筐体のガンシューティングや体感ゲーム、そしてセガやアタリのハードのゲームは、当時のゲーム業界の中ではニッチなものであったのは間違いない。しかしながら、原田氏の愛のあふれるコラムからは、彼が好き好んで誰も見向きもしないマイナーゲームを取り上げていたようには感じられないのである。
原田氏が活躍したのは、90年代末から2000年代というコンソールゲームの黄金期だ。ハード性能が飛躍的に発展して、ビデオゲームがますますリッチになっていった。そのような背景の中で、彼の取り上げるシンプルな楽しさに満ちたゲームは、美麗なグラフィックスのゲームに押されて結果的にニッチな存在になっていったというのが正しいだろう。
実際に彼の取り上げるレースゲームの中には、ハードに同梱されたソフトとはいえ、世界中で数百万本以上売れた『Forza Motorsport 2』、国内公道レースゲームの先駆け『首都高バトル』、現在でも人気が高い『Need for Speed』シリーズとかなり王道なタイトルが数多く含まれている。シューティングゲームにしても『ナイトレイド』、『ブラスターバーン総集編』といったマニアックなセレクトはあれど、コラムで何度か持ち上がるのは『レイストーム』や『ライデンファイターズ』といった王道の作品。さらには『REZ』や『ワイプアウト』のようなアブストラクトで実験的な作品、『ジェットセットラジオ』や『ダイナマイト刑事2』といったセガの傑作が語られている。
現在の視点から振り返ってみれば、これらはややマニアックなジャンルのゲームではあるが、どれも名作として確固たる評価を得ている作品ばかりだ。そして、連載当時の原田氏自身もそのように考えていたように思える。マイナーゲームを紹介していたわけではない。破壊に爆走、飛行に殺戮、単純かつ純粋な楽しさに満ちたゲームを愛した結果、マイナー趣味とみなされてしまったのだ。
ハードに対するアンビバレントな感情
本書を通読して感じたもうひとつ気になった点は、ダイナミックな日本のゲーム史に対する原田氏のアンビバレントな視線である。先ほど指摘したように、1978年生まれの原田勝彦氏が生きた時代はコンソールゲームの黄金期だ。任天堂、ソニー、セガ、マイクロソフトと各社がハードの開発でしのぎを削っていた。そのような背景の中、セガのハード事業撤退、Xboxの国内販売の不振といった出来事を扱った原田氏のコラムは、彼のゲームソフトへの情熱と比べると冷めたものである。
セガのドリームキャスト撤退に関しては「この悲しみはどこから来るんだ?」と嘆く一方、「愉快な破壊ゲームで遊べればどーでもEー」という対極の意見を並置している。また、セガハードが二番手、三番手に甘んじていた結果、メジャーなコンソールではけっして遊べなかったであろう「マイナーで不道徳で破壊的なソフト」が多数リリースされたことを振り返っている。つまり、ドリームキャスト撤退による悲しみは、ハードそのものへの愛着ではなく、ソフトへの愛情からきているというわけだ。
Xboxの販売不振についてのコラムでは、より直接的にハードよりもソフトの重要性を強調している。
何でもかんでも叩きたがる反抗期の諸君が、「MS日本法人に火を放て!」「ゲ●●を1匹殺して庭に吊るせ!」と言いたくなる気持ちもわかる。だが!ソフトはソフトとして評価するんだ!愉快なゲームを見逃すことは、ゲーマーとして最大の罪である。(p. 28)
一貫して、ライターとしての原田氏の視点はソフトの側にある。波瀾万丈のハード戦国時代にあっても、破壊・暴走・飛行・殺戮が楽しめれば、どんなハードでも問題ないのだ。
このソフトを重視する価値観は、彼のゲーマーとしての純粋な気持ちからくるものだろう。だが一方で彼はメガドライブ2にネットオークションで取り寄せたメガCDやスーパー32Xといった周辺機器を取り付け、Xboxの上にAtari Jaguarを積み上げ、各種ハードを綺麗に整頓して棚に設置している。ハードを疎かにしているような人間に思えない。
ソフトが面白ければハードなんてどうでもいい。それはライターとしての本心であっただろうが、ゲーマーとしての本音ではなかったのではないか。そもそも、彼はリメイクゲームの特集で「別のハードで同じソフトが動くことなど絶対ありえない」と断言し、アーケードの大型筐体を愛するような人間なのだ。少なくとも本書を通読する限り、彼のハードウェアに対する愛情はじんわりと伝わってくるのだ。
ビデオゲームにおけるネットと雑誌
このような彼のアンビバレントな感情を理解するには、おそらく当時のインターネット上の言説を無視することはできない。インターネットにおけるゲームハードに関する不毛な争いが盛んであることについては、ここでは説明不要だろう。原田氏がゲームライターとして活躍した時期はちょうど日本のインターネット普及期にあたり、巨大掲示板やブログといった個人が発信できるメディアが成長していった。ビデオゲームは何も紙媒体だけのものではない。当然のようにネット上の言説が旧来のビデオゲーム文化に染み込んでいく。
結果として2000年代のビデオゲームという文化には、旧来からある雑誌の言説と新興メディアのネット上の言説がいりまじることになる。そして、原田勝彦氏はゲームライターとして雑誌で執筆すると同時に、「ゲーモク」というハンドルネームで古くから活動するゲーム系のブロガーであった。そんな彼がネット上のビデオゲームの言説に敏感であったことはいうまでもない。
Xbox 360の日本での展開に関して大手ブロガーと激論を交わしたり、ゲームの価値についての論争を繰り返したり、ネット上における原田氏は雑誌以上に血気盛んだ。炎上とまではいえないが、揉め事も相当多かった。すべてはゲームへの愛情からという姿勢は同じかもしれないが、ネット上には本書からは浮かび上がってこないもう一つの彼の姿が映っている。
そして、インターネットでの激しい活動と比較すれば、彼の雑誌での言動は、扇情的な文体を使いながらも実際には穏やかなものだ。もちろん個人のブログと商業誌では文章としての責任の重みが異なる。また、金銭を払って購入した読者しか読まないという雑誌メディアの特殊性もあるだろう。いずれにせよ、ネット上のゲーモク氏がゲームをやらずにゲームを語る人に失望し周囲の無理解を嘆いていたのに対して、雑誌での原田氏はもっと楽観的に楽しんでいるように見える。
そうであれば「ソフトが面白ければハードなんてどうでもいい」と立場でありながら、たびたびマイナーハードや周辺機器の話題を持ち出す原田氏の気持ちもおのずと理解できる。インターネットでの不毛なハード論争に雑誌の読者を巻き込みたくない。だが、すばらしいゲームを紹介するためにハードを持ち出す必要がある。そんなバランス感覚から生まれた彼のコラムには、ネット上の文章にはない優しさがかいま見える。
だからネット上のゲーモク氏を知る人には、ぜひとも本書でゲームライター原田勝彦の文章を読んでみてほしい。逆に本書を手にとった人には、ゲーモクとしての原田氏の活動にも目を通してみてほしい(もとのブログは消失したがインターネット・アーカイブ上で閲覧可能)。その両者を通してみて、ようやく一人のゲーマーの姿が明らかになる。
もちろん、原田勝彦氏本人に興味はなくとも本書は楽しい本だ。読んでいて猛烈にレースゲームやシューティングゲームがしたくなるし、アーケードにも行きたくなる。中古屋でゲームを発掘するときのガイドとしても良いだろう(目次と索引が付いていないのは不便だが)。そして、より多くのゲームを遊ぶことがなによりの弔いとなる。