類い稀な恐怖と魅力が詰まったホラーゲーム『P.T.』
ホラーゲームは怖い。しかしなぜ人は、怖いとわかっていてなお手に取らずにいられないのか? 現在このジャンルのゲームは数え切れないほどあるが、私にとっては『P.T.』こそ我がゲーマー人生の中で最も恐怖で凍りついたタイトルと言える。いや正確には発売されたものではなく某ゲームの「デモ版」という形でリリースされたものであるが、最後までプレイし終わった時に1本の大作ゲームを体験したかのような興奮――自分の背後と暗闇と電話と窓と雨と、とにかく私を取り巻くすべての事象におののかずにはいられない心地が一気に身体を駆け巡った。
未体験の恐怖を求めダウンロード
ゲームをしているだけで額に汗が滲む2014年の真夏の昼下がり、あの日の私は意気揚々と『P.T.』をPS4にダウンロードし、今にも起動しようとしていた。
「サイレントヒル新作のデモ版か……はたして私を怖がらせることができるかなフフフ……」とちょっと人様にはお見せできないような笑みを浮かべながらコントローラを握っていた。自分には今まで古今東西のホラーゲームを一本背負いしてきたという自負がある。デモ版のお試しプレイなど楽勝だろう……軽く鼻歌なんか交えながら、そうお気楽に構えていた。だがプレイ開始からわずか数分で、そんな甘い考えは脆くも崩れ去る。
「アレ……? ふ、フン……何よ、怖いじゃない……」
ツンデレ幼馴染のような調子で呟きつつ、私はL字型の廊下をおそるおそる進み始めた。
手探りで進まなければならない怖ろしさ
いったい誰の家なのか、なぜここにいるのか。一切の情報も明かされないまま、静まり返った廊下を徘徊する。聞こえてくるのは自分の足音と雨音、かすかなラジオのノイズ。そして耳では明確に認識できない、聞こえないはずの「音」。まるでこの家全体が意思を持ち、こちらへ何かを訴えている……そんな威圧感がこれでもか! と恐怖心を刺激する。実写にしか見えない画面とリアルな音響に私は何度も背後を気にした。今しがた聞こえた怪音が、ゲームのSEなのか自分の家のどこかで鳴ったラップ音なのか判別のつかない感覚に陥り、暑くてかいていたはずの汗がいつしか冷や汗へと変わっていた。
「……振り返ったって誰もいないのはわかってるけど……いや、実際にいたら怖いどころじゃないから振り返らない方がいい。というか首筋に当たる空気が何か湿ってる……いや、誰もいない……はず……」
けっして人様の目にふれてはならない不審な挙動を繰り返しながらのプレイだったため、初見時の歩みのまあ遅いこと遅いこと……もはや麒麟とは名ばかり。あれは牛の歩みそのものだ。
ゲーム開始直後、眠りから(あるいは失神から?)目覚めた主人公は四方を冷たい壁に囲まれた殺風景な部屋に倒れていた。この場所や彼の境遇が分かるような説明は一切無い。ただ訳も分からぬまま立ち上がり唯一の扉を開くと、そこには仄暗い廊下が見えるだけ。
主観視点で廊下を歩くほかにできることといったら、R3ボタンを押し込んでオブジェクトにズームインする「注視」のみ。後は地下へ続く階段、そしてバスルームを順繰りに歩き回って謎を解いていく。最初こそは「ほう……こんな感じか。なるほどなるほど……」と家の構造を確かめながら歩いていた。さほど長くない廊下は歩けばすぐに地下の扉に行き当たる。「なんだこのマップは……? 途中にあった部屋らしき場所には入れなかったし、ラジオも何か事件のニュースを喋っているだけだし……外にも出られなさそうだ。このまま地下の扉をくぐればいいのか?」そんな分析をしながらも顔はずっとニヤニヤしていた。これからどんな恐怖を見せてくれるのだろうかと心踊っていたのだ。よくホラーを見ると涼しくなるというが、私は反対にもっと暑くなってくる。いくらなんでもホラーに興奮しすぎィ!
雰囲気こそ薄気味悪いが(足元をチョロチョロ蠢く黒いアノ虫も不快度満点だし)、あまりのあっけなさで腑に落ちない気分のまま、地下の扉を開くことにした。この先で待ち受ける恐怖の展開に期待を寄せつつ左スティックを前に倒す。ガチャリ……と不安を煽るような音が鳴り響いた後、そこには見知らぬ世界が……広がっていない。「これはもしかして……ループしている?」思わず立ちすくんで呟いてしまった。同時に得も言われぬ閉塞感と絶望感がじわじわと胸に沸きあがってくる。さっきの廊下の一番最初へ戻ったことは一目瞭然だった。無限ループって怖いよね。いつ終わるとも知れない風景がいくら進もうと目の前にあり続ける恐怖。謎の空間に閉じ込められてもう一生出られないという絶望を覚えるからなのか、ホラーとの相性が非常に良い要素でもある。
さて『P.T.』はどんな無限ループの絶望を与えてくれるのだろうとゾクゾクワクワクしながら2周目の廊下をゆっくりと歩きはじめたが、すぐに違和感をおぼえて足を止めた。その正体をとらえようとあらゆるオブジェクトに注意を払いながら、1周目とは格段に違う不安感に苛まれていることが恐ろしく、そして心底楽しい。唯一置かれている時計は相変わらず23時59分を指している。だが……廊下の向こうから聞こえてくる物音が明らかに「誰か」が壁を叩いているような音なのだ。
「この家の住人さんか……申し訳ないけども楽しませてもらってますよォ」と遠慮無しに散乱したオブジェクトを物色し続ける。しかし事象としての恐怖は姿を見せようとしない。
「まだ大丈夫だ……廊下は明るいし、ラジオも何も聞こえないけど……しっかり歩けてるし、明らかにバスルームから泣き声聞こえるし……泣き声……誰だよ! 泣きたいのはこっちだよォ!!」
ホラーゲームには、真綿でやわらかく締め付けるような“外側からゆっくりと包囲する恐怖”が欲しいと常々思っている私にとって、これこそ待ち望んでいたものだ……! と心の中で泣きながら震えた。嬉しさと怖ろしさと心細さで自分の頭が何だかよくわからないことになっていた。音がまたリアルすぎて、本当に私の後ろから聞こえているんじゃないかってくらい。「ドアの向こうから誰か覗いてる……」と、ありもしない誰かの視線を感じながらのプレイだった。ただゲームをしてる人間を背後から覗いたって、幽霊にとっちゃ何も面白くないのにねェ。
残念ながら2周目も無事に終え地下の扉を開こうとすると、今度はびくともしない。アレ? と仕方なく引き返し反対側の扉へ向かおうと廊下を歩いていた途中で、さっきまで開かずの間だった部屋の扉がゆっくりと開いた。今までいくらゴンゴンぶつかっても全く開かなかったのに。
「おいおい……これは入れってことかァ? 腕が鳴るぜェ……!」さながら歴戦のソルジャーのように、しかし足腰は震わせながらソローリと近付いた。たしかにちょっと開いてはいるが中の暗闇が少し垣間見えるだけで、それ以上開けることも中へ入ることもできない。
「これは……この後、どうすればいいんだ?」そこから私は長い迷子タイムに突入することになる。この『P.T.』は、謎解きが他のゲームとは違って特殊な部類に入る。「あのアイテムを拾ってきてこの場所で組み合わせて使う」というものではなく、「この場で何秒か待って適切なタイミングでこのボタンを押す」みたいな感じ。ヒントが一切なく些細な動作もしっかりと考えて選択しなければならない。謎が解けた時「なるほど」と言えるようなものばかりだが、正解に到達するまでが長い。私も実際、ようやく正解に辿り着いてバスルームを隙間から覗くと……あの一瞬、確実に心臓が止まった。続けて「ヌンッ」と意味不明な声が出てしまった。あれだけは誰にも聞かれていなくてよかった。背後の幽霊だけで本当によかった。
そこからさらに3周目、4周目……と廊下を徘徊することになるが、冷汗をかいた心臓が休まる暇などなく実写さながらのグラフィックから放たれる恐怖に息があがりそうなほど追い込まれていった。一筋縄ではいかない謎解きもこれでもかと用意されていて、無料でダウンロードしてこれほどまで遊ばせてもらっていいものかと驚いたほどだ。
さらに特筆すべきはこのゲームの最後。この無限ループの先に待つエンディングムービーを見るために解かなければならない謎だ。私の場合はというと、三日三晩悩みながら廊下をウロウロし続けた後ようやく最後のムービーが見られた時には、いろいろな意味で安堵と脱力が身体を襲った。「なんてものを作ってくれたんだ小島監督ー!!」と叫ばずにはいられず、ホラーゲームもここまで来たかと思わず拍手してしまった。「謎解きは意図して難解なものに設定した」とのことだが、難しすぎて夢にまでリサが出張してきたよ。相変わらず耳元で吐息をかけられ続けてたよ。
『P.T.』は2014年の8月14日に配信が開始されるやいなや、全世界のプレイヤーがこぞって謎解きに挑んでいった。私自身、自力でやれる限りを尽くして完全に行き詰まってしまい「ちょっとだけ攻略法を調べちゃおう……」なんてネットで検索したところ、二転三転するクリア報告、自分だけが遭遇したエンディング到達状況などあらゆる憶測をもとにした情報が飛び交う様を目の当たりにした。海外のプレイヤーには数時間でクリアしたという猛者も現れたようだが、そのプレイヤーすら「どうやってクリアしたか分からん」みたいな状況だった。あの時のゲーマー魂をくすぐられるどころか往復ビンタをお見舞いされるような熱い展開はすごかった。一時でも「私がクリア方法を確立してやるぜ!」なんて意気込んだくらいだからね。もちろん無理だったけどね。
そんな配信開始当時の、全世界のプレイヤーが一丸となって『P.T.』という謎に立ち向かい喧々諤々のやりとりを交わす様を目の当たりにして、私は何ともいえない高揚感と充足感でいっぱいになったのを今でも思い出す。あの夏、世界中にいる沢山のゲーマー達を夢中にさせた大きな渦の中に確かに自分もいたのだ、ということが最高に幸せな記憶となって心に生き続けている。
今後のホラーゲームの発展がさらに楽しみになる出来
無料で遊べるゲームながら、極上の恐怖体験が味わえる『P.T.』。グラフィックの絶妙にリアルな「質感」もそうだが、何よりこの舞台となる家に蔓延る「空気」が異質なのだ。廊下の照明が与えてくれる心もとない光、どこからともなく聞こえる物や家が軋む音……。家屋自体は西洋風だが、その「空気感」はジャパン・ホラーそのものだと感じた。日本のホラー映画にもある陰湿でジメジメとした、見ているこちらにも伝わってくる生温いような空気。決して単純に脅かしてビックリさせるだけではない、何か独特な「空気」がそこにはある。「誰か」がそこに居るのに気付かず通り過ぎ、後で思い出して身震いするとか、誰もいないはずなのにドアの向こうから気配を感じ、異様な雰囲気に恐れおののくとか……。じわじわと逃げ場も塞がれてしまっていくようなゆっくりとした恐怖……それこそが『P.T.』に感じた怖さの根源ではないだろうか。というふうに書いていたらなんかまた後ろが気になってきた……。
……ここまで紹介してきた『P.T.』。是非ともプレイしたことが無い人にもオススメしたいところなのだが、ある事情があってそれも難しくなってしまっているのが現状だ。
『P.T.』の正体は『Silent Hills』の“プレイアブル・ティザー”
2014年、ひとつのゲーム情報が世界を席巻した。それは小島秀夫監督率いる小島プロダクションが開発すると発表された『Silent Hills』だ。世界でも評価が高いサイレントヒル最新作ということで注目度が凄まじかった。しかし2015年現在、そのサイレントヒル最新作は残念ながら開発中止が発表された。それと同時にこの『P.T.』もPlayStationストアからダウンロードができなくなってしまった。
というのも『P.T.』とは、その『Silent Hills』のプレイアブル・ティザー(遊べる広告)として無料で公開されたもの。最後までクリアするとエンディングではなく、まさにその時点では開発中だった『Silent Hills』のティザー映像が流れる。「次のサイレントヒルはこういう怖さもあるんだァ……楽しみだな!」と私も心を踊らせたものだが……非常に残念だ。
またどこかで、新たな形で出逢えることを心から願いつつも、こういった「異質な空気感のホラーゲーム」のさらなる登場を待ち望むばかりだ。