英傑解説・ハンニバル・バルカの評価とステータス - AUTOMATON

英傑解説・ハンニバル・バルカの評価とステータス


ハンニバル・バルカの評価


評価:B

高い知力を有する回復型英傑だ。固有スキルでは、自軍が3回ダメージを与えるごとに確率で被ダメージ減少と被ダメージ時の回復効果を持つ療養状態を付与する。重ねがけすると強力な効果を発揮するため、攻撃回数の多い英傑と組み合わせるといいだろう。ただ最大の3回まで積み上げるには少なくとも9回の攻撃が必要で、ランダムな英傑に付与されるため、敵の攻撃を多く受ける前衛や中軍に付与されないと効率が落ちる。編成や運次第でかなり強さが変わってくる英傑だ。

ハンニバル・バルカの基本情報


レアリティ:☆☆☆☆☆
適合兵種:近接戦、兵器、飛行
攻撃距離:3
タグ名:盾
入手方法:英傑採用(プレミアム採用、ミュージアム:獅子心王の玉座、ナイルの恵み、覇者の魂)、英傑との盟約

ハンニバル・バルカの基礎能力値


■レベル1
攻撃:75
防御:84
知力:99
攻城:24
敏捷:57

■レベル50
攻撃:97
防御:109
知力:124
攻城:49
敏捷:72

※太古時代初期兵種の場合。能力値振り分けは除く

ハンニバル・バルカの固有スキル


スキル名:アルプス越え
タイプ:エンゲージ
発動確率:100%
有効距離:3
目標:自軍の英傑3人
スキル適合兵種:近接戦、遠距離、騎兵

レベル1効果:自軍全体が累計3回ダメージを与えると、60%の確率で自軍の英傑1人に支援状態を1スタック付与する(この効果は各ターン最大3回まで適用)。支援効果は1スタックごとに、攻撃ダメージを3.5%減少させる(知力に基づく)。ダメージを受けると支援効果が1スタック解除され、同時に一定の兵力を回復する(回復率30%、知力に基づく)。支援状態は最大3スタックまで重ねがけ可能。

レベル10効果:自軍全体が累計3回ダメージを与えると、100%の確率で自軍の英傑1人に支援状態を1スタック付与する(この効果は各ターン最大3回まで適用)。支援効果は1スタックごとに、攻撃ダメージを7%減少させる(知力に基づく)。ダメージを受けると支援効果が1スタック解除され、同時に一定の兵力を回復する(回復率60%、知力に基づく)。支援状態は最大3スタックまで重ねがけ可能。

ハンニバル・バルカの分解スキル


スキル名:入念な準備
タイプ:アクティブ
発動確率:50%
有効距離:2
目標:自軍の英傑2人
スキル適合兵種:近接戦、遠距離、騎兵

レベル1効果:1ターン準備し、自軍の負傷兵が最も多い英傑とランダムな英傑1人の兵力を一定量回復する(回復率70%、知力に基づく)。同時に療養状態になり、自軍のターン開始時に兵力を一定量回復する(回復率45%、知力に基づく/2ターン持続)。療養状態中に制御効果を受けると、残りの回復量が即時適用される。

レベル10効果:1ターン準備し、自軍の負傷兵が最も多い英傑とランダムな英傑1人の兵力を一定量回復する(回復率140%、知力に基づく)。同時に療養状態になり、自軍のターン開始時に兵力を一定量回復する(回復率90%、知力に基づく/2ターン持続)。療養状態中に制御効果を受けると、残りの回復量が即時適用される。

ハンニバル・バルカの称号


戦略の父:与治療効果(戦闘前)が8%増加する。
解放条件:ハンニバル・バルカ×1

戦略の父(進化後):与治療効果(戦闘前)が8%増加する。1スタックごとに支援状態の攻撃ダメージの軽減効果が追加で3%増加する。
解放条件:ハンニバル・バルカ×1

大志:与治療効果(戦闘前)が5%増加する。
解放条件:星5近接戦英傑×1

知謀:知力(戦闘前)が10ポイントアップする。
解放条件:星5英傑×1

ハンニバル・バルカの運命


・大軍事家
必要英傑:ハンニバル・バルカ、ハーラル、クトゥーゾフ
アクティベート効果:自軍全体の攻撃、防御、知力(戦闘前)が10ポイントアップする。
中世ー近接戦:中世の近接戦兵種の被治療効果(戦闘前)が3%増加する。

ハンニバル・バルカのスキン


スキン名:アルプス奇襲
入手方法:ショップ購入
特殊効果:古代シリーズ(同じ部隊に同じタイプのスキンを使用している英傑がいる場合、その英傑1人につき自軍全体の与ダメージが2%アップ、被ダメージが2%ダウンする)

ハンニバル・バルカの伝記


紀元前247年生、同182年頃没。古代カルタゴの将軍でバルカ家出身の政治家。ハンニバル・バルカの生涯は、カルタゴ領の征服とローマの台頭を目撃することに費やされた。ローマ帝国を憎んでいた父親の影響を受けて、彼は決してローマの味方にならないことを誓った。若くして軍事的な訓練を受け始めたハンニバルは、精神に磨きをかけ、自身が優れた外交官であることを証明して、イベリア半島の諸部族と戦っていた父ハミルカルの軍に参加した。彼らがサグントゥムで勝利すると、第2次ポエニ戦争が勃発した。史上最高の兵法家の1人であるハンニバルは、彼の軍を率いてスペインを出発して、ピレネー山脈とアルプス山脈を越えて、イタリア北部へと攻め込んだ。トレビア、トラシメヌス湖、カンナエの戦いでは、地形を利用した素晴らしい戦術を採用した。彼の敵の意表を突く作戦にまんまと引っかかり、誘い出されたローマ兵は、屍の山を築くことになった。ローマがハンニバルの補給線を断とうとすると、彼は外交術と腕力を駆使して、地元の部族から支援を受けることに成功した。しかし、当時カルタゴがプブリウス・コルネリウス・スキピオの軍に侵略されていたこともあり、ハンニバルは十分な増援を受けることができず、北アフリカへの退却を余儀なくされた。彼はその後もローマとの戦いを続けたが、紀元前195年、裏切りにあってカルタゴから追われる身になり、エフェソスへ脱出した。ハンニバルは彼の誓いを忘れることなく、死ぬまでローマと戦い続けた。